「零戦は決して他国の模倣に徹しただけの駄作機ではなかった!それを証明するのが実際の戦果!
「はあ。それはいかほどのものだったのでしょうか?」
「だったんでしょうか?って・・・・・フヒッ・・・・フッヒヒヒ・・・・・きっと何も知らないのね。
だから必要以上に零戦を悪く言う。」
「まずは栄光の初陣に目を向けてみなさい!零戦の初の実戦での戦いは1940年中国の漢口上空で行われ、このとき
進藤大尉率いる零式艦上戦闘機13機は、2倍にもおよぶ27機の敵戦闘機と交戦し、これを全機撃墜、味方は損害ゼロという大戦果をあげたの!」





零戦11型




「どうですか?これこそが抜群の格闘性能と長大な航続距離を兼ね備えた傑作機零戦の初陣にふさわしい活躍と言えるでしょう。
片っ端から火を噴いて墜落する中国軍機!さぞかし胸のすくような光景だったでしょうな!」
「確かに随分とすごい戦果です。でも始めにちょっと、この戦いの正確な撃墜数について確認してみましょうか。」
「は?それどいういうこと?」
「ですから、27機中、全機撃墜とは日本側の自己主張でしょ?確認の困難な空中戦に関しては、それが悪意があろうとなかろうと、戦果にはつねに過大や捏造が付きまとうものですから、こういうときは両軍の損失を照らし合わせてみるのが一番よいのです。」
「そうしてみますと中国空軍の記録では、このときの空戦参加機数は27機ではなくて33機、損失は27機ではなく13機という日本側報告の半分程度だったということです。」
「このときの日本側損害は0で変わりがありませんが、4機のゼロ戦が被弾し、その結果かどうかは定かではありませんが、そのゼロ戦の一機は不時着に失敗して大破、全損しています。」
「それでも大活躍だったことにはいささかの変わりもありませんがな。」
「たしかにそうなんですが、それほど手放しで大喜びするほどのことだとは私には思えません。」
「なんでよッ
このとき零戦隊は2倍以上もの敵に空戦を挑み、13機を撃墜した!それってどう考えてもものすごいことじゃないの!」
「・・・・このとき中国人パイロットが搭乗していた機体がなんだったのか考えたことがあるでしょうか?」
「・・・・・」
「それはソヴィエト製ポリカルポフI-15bisと、同じくI-16の2機種で、I-15bis・・・・・俗にI-153チャイカと呼ばれる機体のほうは、
1933年原型初飛行の原始的な複葉戦闘機です。」






ポリカルポフI-153(ソ連)





「ゼロ戦とI-153では速度差が150km/hにもおよびますから、ゼロ戦はこれに照準することすら困難だったといいますよ。
1939年初飛行の新鋭機が、こんなのに後ろをとられ、あまつさえ撃墜されでもしたら、よっぽど事だと思いますが・・・・」
「この空戦に参加した中国側33機のうち、20数機はこの複葉機でしたが、そのほかの数機にはもうちょっと近代的な全金属製戦闘機も参加しています。といっても、それは世界最初の近代戦闘機でしたが。」






ポリカルポフI-16(ソ連)





I-16ラタはソ連が作った、世界で最初の低翼単葉引っ込み脚機構を備えた近代戦闘機で、原型初飛行は1933年、この頃にはもう一旦生産が終了している時代遅れの機体です。いかにもズングリしているラタは、ゼロ戦と同じ1000馬力級のエンジンを搭載しているにもかかわらず、基礎設計の古さからゼロ戦よりも速度が40km/hも遅いです。」




零戦11型 I-153 I-16
原型初飛行 1939年 1933年 1933年
最高速度 533km/h 370km/h 489km/h
エンジン 950馬力 775馬力 1000馬力
武装 20mm×2,
7.7×2
7.62mm×4 7.62mm×4
航続距離 2500km 530km 600km




「この漢口上空での空中戦でゼロ戦隊は、完全に敵に対する奇襲を成功させており、高速と1000mぐらいの高度の優位でもって中国軍機を一方的に攻撃しました。正に模範的な戦闘法といってよく、無用な格闘戦など発生すらしていません。戦闘機の性能でいかに速度というものが重大であるかということが再確認されると思いますが・・・・・」
「・・・・」
「この後の一連の中国での航空戦でも、ゼロ戦は中国軍機に対して相当有利な戦いを行っていますが、それは1937年初飛行のイギリス・グロスター社のF5/34とほとんど変わらない形状をもつ近代機であるゼロ戦に対して、中国軍機が各国から買い集めた機体は、それよりはるかに時代遅れな世界の三流機ばかりだったからです。」
「その多くが複葉機で、さらに中国空軍パイロットは必ずしも錬度や士気も高かったわけではありませんでしたから、中国上空は日本のパイロットたちにとっての絶好の練習場となり、真珠湾後にほとんど実戦を経験したことのない米軍パイロットを一時的ながら圧倒できたのも、そういった実戦経験を理由とするものです。」
「今三流機って言ったわね。」
「はい?」
「アナタが欧米機にご執心なのはもうよくわかってるわ。
とくにヨーロッパの一流機・・・・・スピットファイアやBf109を零戦と比べて随分とコケにしてくれたじゃないの。」
「・・・・・何が言いたいのでしょう・・・・」
「しかしそのいわゆる世界の一流機とやらが零戦に完膚なきまで叩きのめされていたとしたら・・・・?」
「・・・・・・」
「1943年、オーストラリアのダーウィンでの攻防戦で、零戦はイギリスの誇るスピットファイアを完膚なきまで圧倒!
3月から9月にいたる計9回の戦いで、零戦
3機を撃墜されたのに引き換え、スピットを38機も撃墜!
ブリテンの戦いのエース、
ベテランのみで編成された部隊は一方的に零戦に虐殺され尽くし、
数ヶ月で
全滅しちゃったんだから!」





スーパーマリン スピットファイア(英)




「あの・・・」
「おっと!・・・・・撃墜記録は日本側の自己申告ではないかといいたいんでしょ?
これは両軍の損害記録を付き合わせた正確な戦果よ!」
「大体バトルブリテンでBf109程度と有利に渡り合ったから太平洋でも楽勝と思ったんだろうけど、零戦にBf109と同じ態度で空戦仕掛ける英空軍のパイロットもアホよね!おとなしく欧州に引っ込んでれば死なずに済んだものを
軒並み欧州で撃墜王気取ってたのは零戦に皆殺しにされてるから全く笑わずにはいられませんな!」
「イギリス側司令官のコールドウェルも何て無能なんでしょうね?
英空軍に到っては日中戦争時の中国空軍以下ってとこよね!
こんな超級ヘボヘボ集団と死闘を繰り広げていたドイツ空軍も同様にザコだったってことよ。
ドイツの爆撃機隊に至っては世界最弱なんじゃないの?」
「もう何から言ってよいものやら・・・・・」
「まあ、誰がなんと言おうと英空軍が世界一弱い事は否定できる筈がない。
カタログスペックなんかを単純に見比べただけで、自分の嫌いな零戦が低性能だと馬鹿にして悦に入るなんて、
ちょっと恥ずかしすぎるのではありませんかな?」
「・・・・・・まず始めに、オーストラリア側の司令官、コールドウェル中佐はイギリス人ではなくオーストラリア人です。バトルオブブリテンには参加しておらず、彼は北アフリカで、それもP-40を用いた対地攻撃に従事していた人で、スピットファイアにはそれまで一度も乗ったことはありません。パイロットたちも同様で、大多数がイギリスに徴兵されたオーストラリア人で、北アフリカで対戦闘機戦ではなく対地攻撃に従事していました。」
「・・・・・」
「1942年、日本軍はオーストラリア・ダーウィンに攻撃を開始し、それに際してオーストラリア政府は、自国空軍やアメリカ陸軍機では防衛は困難として、イギリスのチャーチル首相にスピットファイア3個飛行隊と、前述のオーストラリア人パイロットたちの帰還を要請しました。その際に供与されたスピットファイアはMk.5c型100機です。」





スピットファイアMk.V (英)




「スピットファイアとともにオーストラリアにやってきたパイロット達は、5ヶ月間の訓練の後に1943年はじめからダーウィン上空の防衛任務につき、2月6日には偵察任務に訪れた日本軍の百式司偵をフォスター大尉が撃墜し、彼らはは来るべき日本機との戦闘に大きな自信を抱いていたのですが・・・・・」
「結果から言えば、攻撃を開始した日本軍との1943年3月から9月に至る計9回の戦闘で、オーストラリア側はゼロ戦3機、一式陸攻2機を撃墜しますが、それと引き換えにスピットファイアはブタオさんの言ったように38機が失われています。」
「フヒッ!やっぱりね!やっぱりゼロ戦の圧倒的勝利じゃないの!」
「実際の戦闘の様子を見てみる前に、ちょっとゼロ戦とスピット5のカタログスペックを並べてみますね。」





零戦22型 スピットファイアMk.Vc
エンジン馬力 空冷1,130馬力 液冷1,470馬力
最高速度 541km/h 594km/h
上昇率 7分19秒(6,000mまで) 5.6〜7分(6,096mまで)
航続距離(最大) 3,000km以上 1,826km
武装 20mm×2、7.7mm×2 20mm×4
初号機完成 1942年秋 1941年1月






「フ・・・・多少のカタログスペックの違いなど、現実の戦闘では全くもって些細なことであるという好例ですな。
最高速度50km/h程度の違いなど、実戦では何らの意味もなかったということよ。」
「スピット5の初飛行は1941年初めですから、1943年にはもう時代遅れで、零戦22型と同世代のスピットはさらに高性能な9型ですが、オーストラリアはしょせん植民地ですから、チャーチルは同国に旧型機の、それもよりにもよって北アフリカなどで使われる砂漠仕様の機体しか供与しなかったのです。」
「砂漠仕様だったら何だってのよ。見た目や性能はほとんど変わんないんでしょ?」
「砂漠といったら、砂塵が舞っていますよね。
そのような環境で航空機を運用してしまうと、ミクロン単位のホコリを吸い込んだエンジンは破損してしまう恐れがあります。
そこでそれを防ぐために、通常ボークスフィルターとか呼ばれる砂塵フィルターを航空機の機首などに取り付ける必要が生じるのです。」
「しかしこの砂塵フィルター、戦闘機に取り付けてみると、砂をよけるだけにしては結構大ぶりなのですよ。
これは砂塵フィルターを取り付けたスピットと、普通のスピットの写真ですが・・・・」





ボークスフィルター付きスピット

普通のスピット





「エンジンの下に突き出したフィルターによる空気抵抗の大幅な増加に伴って、つけてない普通の機体に比べて
最高速度が32km/hも減少してしまい、さらに燃費も悪化し、正に砂漠以外の環境でそのまま使ったりしたら、最悪この上ない装備だと言えるのです。」
「つまり、砂漠仕様のスピットと、ゼロ戦の最高速度の違いは正確には以下の通りです。」




零戦22型 スピットファイアMk.Vc
エンジン馬力 空冷1,130馬力 液冷1,470馬力
最高速度 541km/h 562km/h





「さらに言いますと、オーストラリア空軍に供与されたスピットファイアは、イギリス本国から地球の反対側に輸送されてくる長期にわたる船旅の途中で、エンジンが腐食し始めてしまったために、実際にはこれよりもっと性能が下回るような状況でした。
最高速度域の高度は、どちらも6000mと同じですから、結局このスピットと零戦との間にはそれほど大きな速度上の違いは無かったのですよ。それでも、スピットファイアのほうはロール性能と上昇率、それに高空性能で零戦を圧倒していますが、それだけといえばそれだけです。」
「さらにダーウィンでのオーストラリア空軍は、運用の面でも数多くの失敗や不運に見舞われ、敵側とは対等の戦いを行うことが困難な状況にもありました。それは、この戦場が、スピットファイアにとって初の高温多湿な熱帯での運用だったことに起因します。」
「熱帯に何が問題あんの?零戦は別に問題ないわよ」
「・・・・・そうではありません。零戦とは次元の違う問題ですよ。
空戦において高度の優位というものは、速度と並んで非常に重要な要素であるため、スピットファイアに限らずヨーロッパ機などは地上から離陸した後、多くの場合が高高度にまで一気に急上昇して敵機よりも優位な位置を占有しようとするんですね。ところが、それを高温多湿な熱帯でやらかすと、極低温の高高度に到達した途端機体が凍りついてしまうのです。」
「具体的には、機銃が凍って射撃不能になりました。
プロペラ定速装置が故障し、冷却用のグリコール液が凍結してエンジンからを吹きます。」
「墜落しなかったスピットも、煙を吐きながらゼロ戦や攻撃機を迎撃しましたが、ゼロ戦の搭乗員は飛行時間1000時間を越すベテランばかりだったのに対し、対戦闘機戦の経験の浅いオーストラリアのパイロットでは、最早どうすることもできなかったのも仕方のないことだったのではないでしょうか。」
「交換用の部品などが、この地には全く無かったのも災いしました。機械的信頼性は時とともにどんどん失われていき、
結果、この一連の航空戦で全損したスピットの実に7割がエンジントラブルによる不時着で、他にも燃料切れによる墜落もありましたから、ゼロ戦に撃墜された機体は数えるほどしかないというのが事実なのですよ。38機がゼロ戦に撃墜されたなんてデマもいいとこです。」
「どうでしょうか?これがゼロ戦の機体が、スピットファイアに比べて優れていたことによる戦果だと言うことができるのですか?
スピットファイアとゼロ戦の性能の比較については戦後、防衛庁防衛研修所のまとめた戦史叢書という本のなかでは次のように書かれています。」






「スピットファイアは全くすばらしい飛行機だった。零戦に比し最大速度、高々度性能で特に優れていた。
最大速度は零戦よりもはるかに速く、特に突っ込んでからのスピードは驚く程だった。
高度は一〇、〇〇〇メートル以上一一、〇〇〇メートルぐらいまで上がったと思う。
わが方は九、〇〇〇〜一〇、〇〇〇メートルがせいぜいで、高々度では空戦性能ががたっと落ちたが、
幸い空戦が八、〇〇〇メートル以下であったのでやれた。
先方の戦史(「対日空戦」)には零戦の方が上昇が良いとあるが実際はあまり変わらなかった。

零戦が優れていたのは旋回性能だった。
したがって格闘戦に敵が入ってくれれば自信をもって撃墜できた。
しかし敵もこれは承知していたようで、一撃航過の邀撃が多かった。
当方としては豪州攻撃には飛行時間一、〇〇〇時間以上の者ばかり連れていった。」

戦史叢書より






「また、時代遅れで南方での対策がされていないMk.5に代わって、1944年からは不具合が解消され、もうちょっと高性能なMk.8のスピットが多数到着していますが、もうこの頃にはダーウィンへの脅威も薄れ、空戦自体がほとんど発生しなくなってしまいました。」





零戦52型 スピットファイアMk.VIII
エンジン馬力 空冷1,130馬力 液冷1,580馬力
最高速度 565km/h 650km/h
航続距離(最大) 3000km以上 1,062km
武装 20mm×2、7.7mm×2 20mm×4
初号機完成 1943年夏 1942年11月





「でももし最新型のMk.14をイギリスが東洋に配備していたら、もはやどんな悪条件が重なろうと、ゼロ戦では手のつけようがなかったことは確実でしょうね。ゼロ戦52型とスピットファイアMk14とでは速度差が150kmはありますから。まさに中国戦線での零戦と複葉機との戦いのようになっていたのではないでしょうか?





零戦52型丙 スピットファイアMk.14
エンジン馬力 空冷1,130馬力 液冷2,035馬力
最高速度 541km/h 706km/h
上昇率 7分19秒(6,000mまで) 7分(6,100mまで)
実用上昇限度 11,050m 13,572m
航続距離(最大) 3000km以上 1,392km
武装 20mm×2、13mm×2 20mm×4
初号機完成 1944年9月 1943年12月







「チョット待ってよ!大体零戦は海軍機なの!
確かに陸上機的な運用ばかりされてたけど、レッキとした
艦上戦闘機なのッ!!」
「前々から言おう言おうと思ってたんだけど、
アナタは陸上機と艦載機を単純に比べることの愚を何にもわかってない!
わかってないのよ〜!!!はあ〜ホントにわかってないんだから!」
「何がスピットファイアMk.14よ!
スピットなんて艦載機にしてもろくでもない離着陸性能だったじゃないの!」
「ならスピット戦の話なんて誇らしげにしなければいいのに・・・・
それにゼロ戦のほうこそ純粋な艦載機と呼べるのでしょうか?」
「は?
な・・・・なに言ってんの?」
「中国に配備されたころの初期のゼロ戦は、艦上戦闘機などではなく完全な陸上戦闘機でした。
この意味がわかるでしょうか?それは、空母に着陸するために必要な着艦フック、航法装置や主翼の折りたたみ機構が付いていなかったという意味ではありません。
書類上に局地戦闘機、つまり陸上機とはっきり記載してあるのですよ。」
「こんなこと他国では例が無いです。
始めから艦上で運用される戦闘機として設計された機体が、陸上に配備されたというだけで機種が変更されてしまうことはね。
ではなぜ場合によってはゼロ戦は陸上機に変わったのか?といいますと、それは初めから陸上機として開発された、イギリスのグロスターF5/34とゼロ戦の外観がほとんど同じだったという点からもわかるように、日本海軍の戦闘機に対する設計要求は、九試単戦以後はっきりと世界の陸上戦闘機相手になっていたということが関係しているのでしょう。」
「世界の陸上機相手の開発競争は、主に日本陸軍のやることじゃないか?などと思った方もいると思います。
まあ、普通の国ならそうでしょうね。しかし場合は大日本帝国です。」
「日本陸軍と日本海軍はお互いに反目しあっていたのです。それも尋常じゃないくらいに激しくです。
一例を出せば、世界広しといえども自国に海軍があるのにもかかわらず、
独自に空母と潜水艦を建造した陸軍なんてほかに聞いたことありますか?」






日本陸軍空母 秋津丸





「また兵器のライセンス問題でも、ドイツからDB601エンジンのライセンス権を日本が購入するのに、ドイツは無論一国分の金額でよいといってくれてるのに、陸海軍でわざわざ別々に払ったりとか・・・・・
お金の出所は同一の国民から取り立てたものだというのにですよ?
ヒトラーには『日本陸海軍は仇同士か』などと笑われる始末です。」
「陸軍の大陸での暴挙や、海軍の仮想敵国がよりによって最大の依存国アメリカであった辺りなども、元をただせば陸海軍同士の偏狭なセクショナリズムの成れの果てだなんて事を知ったら、太平洋戦争で死んだ人たちも浮かばれないことでしょうね・・・・・」
「これらの例からも、対陸上機戦を主眼とした艦上機を日本海軍が開発したのもうなずけるというものでしょう。
間違いなくゼロ戦は、日本海軍が各国の陸上機の対抗を目指して開発した機体だったのです。そして実際の運用でもそのように使われ、ゼロ戦は日本の最多生産機種になったという事実はいまさら言うまでもないことですよね。」
「でも何と言ったって、艦上機は空母の甲板上で運用されるがゆえに、さまざまな制約が陸上機より付加される!離陸速度、滑走距離・・・・・・海軍が陸上機相手に戦える機体を目指していたっていっても、陸上機と単純に比較されたら零戦の設計者だっていい気分しないわよ!」
「でも、
『競争相手はいつも世界の陸戦界のようなつもりになっていた』
とか言ってますからね・・・・・」
「どこのトンチキよッ!そんなふざけたことぬかしてんのは?!」
「ゼロ戦の設計主任の堀越二郎です。彼はその著書の中で、比べられるなら陸上機と比べて欲しいとか言ってますよ。
故人の意思を尊重するのがそれほど悪いことなのでしょうか?」
ブ・・ブヒッ!で・・でもアナタ以前零戦とP-51を比べて、
お・・・
追いつくことすらできなかったとか言ったわね?!ふざけちゃ駄目っ!
零戦とP-51なんて世代が全然違うじゃないのよ!P-51は大戦末期の機体!スピット14だって似たようなもん!」
「零戦は名機だったのよ!後継機が開発されなかったのが全部悪いの!
ただそれだけのことなのに、
開発時期が全然違う戦闘機を同列にならべるなんて凶器の沙汰よッ!」
「まず一つ、P-51はあなたが思っているほどゼロ戦と世代がかけ離れているわけではありませんよ。
P-51の設計は1941年、ゼロ戦の1年後にしか過ぎないのです。その際に搭載していたエンジンは、アメリカ製のアリソンと呼ばれる1,200馬力の液冷エンジンで、最高速度は時速600km程度と、後の性能に比べればそれほど優れたものではありませんでした。」
「しかし、時がたつにつれてより強力なエンジンに換装されていったP-51は、最終的に、スピットファイアにも搭載されたイギリスの傑作エンジン、マーリンを搭載することで、第二次大戦最高の傑作機とよばれる時速700kmを超えるP-51Dになったというわけです。」





ロールス・ロイス マーリンエンジン(英)




ゼロ戦の悲劇は後継機が登場しなかったことだなどというのも本質的な問題ではありません。どこの国でもそうですが、主力戦闘機であれば開発後も常にパワーアップして使い続ける必要は当然ながらありますよね?特に国力に余裕のない国であればなおさら、戦争中にもかかわらず一々新規に戦闘機を設計し続けるなどというのは非合理極まりない行いでしょう。」
「1930年代半ば以降の機体というのは、基本的に空力的洗練の設計法が完成に近く、たとえばBf109だとかスピットファイアのように、エンジンをパワーアップして小改造をするだけで、いつまでも一流機の性能を保ち続けることができえたのです。
そしてそれはゼロ戦も例外ではありません。
「堀越主任自身も言っていることですが、ゼロ戦は、スピットファイアなどと同様に最後まで改良して使うべき機体であり、これに馬力の大きいエンジンを換装して性能向上をはかる余裕がなかったなどというのは素人感です。それが実際にできなかったのは、彼の言によれば重点配分政策の不確立だそうですけども、信頼性の高い高出力エンジンが日本の工業力では開発が難しかったというのが真相なのではないでしょうか。」
「結局のところ、P-51D、Bf109K、スピットファイアMk.14などに相当する大戦後半のゼロ戦は、52型だというのが厳然たる事実であって、ないものねだりをしても仕方がないというものです。ブタオさんのその理屈は、日本に作れないが故に、敵はその兵器を出すのは卑怯だということと同じなのですよ。」
「あが・・・・・・」
「で・・・でも陸上機にはかなわなくても、ゼロ戦は基本的に艦載機なのよ?!
どんな設計方針で作られていようと敵艦載機を圧倒すれば結果的に万々歳じゃない!」
「それはそうですね。しかし、活躍できればの話ですが。
「活躍しまくったじゃないの!それも超大活躍ッ!
緒戦の戦いで、零戦は米海軍の艦上戦闘機機、F4Fを完全に圧倒!
それこそ片っ端からちぎっては投げ、ちぎっては投げバッサバッサと一刀の下に斬り捨ててやったじゃないのよ!」
「本当にそうでしょうか・・・・それでは大戦中、ゼロ戦の主敵だった米艦載機との戦いに話を移しましょう。
太平洋戦争における、アメリカ海軍の主力戦闘機は主にグラマンF4FワイルドキャットグラマンF6Fヘルキャット
ヴォートF4Uコルセアの3機種です。」
「この中で、太平洋戦争勃発以前に初飛行を遂げたのは、F4UコルセアとF4Fワイルドキャットですが、コルセアのほうは、1940年にして時速651.5kmの快速をマークした機体でありながらも、欧州でのイギリスの戦訓を取り入れ翼内タンクを胴体に移した際に、操縦席が後退したため致命的な前方視界不良に見舞われ、空母艦載機としては配備が順調に進みませんでした。」





ヴォート F4Uコルセア(米)




「したがって艦載機として米海軍に一番最初に配備が進み、ゼロ戦のライバル視されることの多いのは、
グラマン社製F4Fワイルドキャットなのですが、このF4F、ゼロ戦よりもエンジン出力で2割程度優れるものの、最高速度や低空での上昇率などのカタログスペックはゼロ戦よりも劣っているために、日本機マニアにはゼロ戦の格下とみられることが多いのです。」





零戦21型 F4F-4
エンジン馬力 空冷950馬力 空冷1,200馬力
最高速度 533km/h 512km/h
航続距離(最大) 3,350km 2,050km
海面上昇率 1,376m/分 668m/分
武装 20mm×2、7.7mm×2 12.7mm×6
重量 2,410kg 3,612kg
原型初飛行 1939年4月 1937年9月
シリーズ全生産機数 10,449機 1,572機*
*FM-1、FM-2含まず




グラマンF4Fワイルドキャット(米)





「フヒッ!まさに零戦の基本設計がF4Fよりも優れていたということの証左でしょうな!」
「本当にそうでしょうか。F4Fの設計上の最大の特徴は、堅実であることです。その余分な馬力はすべて、ゼロ戦にはない防弾装備だとか、機体強度だとかにまわされていると考えていいのです。」
「また、F4Fはゼロ戦に全く考慮されていない生産性という観点でも大きく優れていました。たとえばゼロ戦は、空気抵抗を低減するための枕頭鋲と呼ばれる、表面に出っ張りのない鋲で機体を接合してあるのですが、一方でF4Fは抵抗の大きい主翼部分以外は、生産性を阻害するという理由で普通の鋲を使用していました。逆に言えば、ゼロ戦には大して重要でない部分にまで枕頭鋲が用いられていたということです。」
「ゼロ戦と比べればF4Fの空母艦載機としての取り回しのよさも計り知れないものでした。収容の際、ゼロ戦の主翼が先っぽだけしか折りたためなかったのにたいして、F4FやF6Fは根元から折りたため、コンパクトになるのでしたよね。」











「F4Fとゼロ戦は主翼外板の厚さからして違いますから、急降下などの急激な機動に耐えられるGもF4Fのほうが遥かに優れています。ゼロ戦が時速600数十キロを超えたぐらいで空中分解にまで至ってしまうのに対して、F4Fは8.5Gでの引き起こしにも耐えることが可能です。F4Fのその堅牢なつくりは、グラマン鉄工所製とまで形容されたぐらいです。」
「で、そのメリットとやらのたくさんあるF4Fが、緒戦で猿真似だけの航空後進国と嘲っていた日本の零戦の手によって、さんざん痛めつけられて茫然自失したわけでしょ?御託がそれでも実際の戦果がヘボヘボなもんだから、大層なことぬかしてるアナタだけじゃなくてこっちまで赤面しちゃうくらいよ!」
「・・・・もう、ゼロ戦が完全にF4Fを凌駕していたとかいう根強い迷信を取り払うために、これから両機の実戦での戦いを私が詳細に解説てあげましょう。」









ウェーキ島上空戦



「ゼロ戦とF4Fとの戦いが初めて起きたのは、真珠湾攻撃すぐ後のウェーキ島での戦いです。この地に駐留していた米軍航空部隊は、奇襲直後にほぼ壊滅しており、爆撃によってF4Fは6機が破壊、パイロット4人と整備士全員が死傷し燃料設備もほとんどが破壊されるという戦闘する以前の有様でした。ですが、パイロットたちの努力によってなんとか4機のF4Fを修復し、これに45kg爆弾を取り付けて日本海軍の上陸部隊を攻撃して、駆逐艦如月を撃沈するなどの戦果をあげました。」
「日本の部隊は一旦撤退しましたが、面目回復の再攻撃を開始した22日に初めて、ゼロ戦とF4Fとの間で戦闘が発生しました。この時点で生き残っていたF4Fはたった2機に過ぎませんでしたが、2隻の日本空母から発艦した攻撃部隊を果敢に迎撃に飛び立ちます。」
「その際、1機は護衛のゼロ戦6機と交戦中に行方不明になりますが、もう1機のフリューラー大尉のF4Fはゼロ戦群を
突破し、日本の艦上攻撃機2機を撃墜、自機も被弾し彼は重傷を負ってしまいますが、飛行場になんとか着陸を成功させています。この戦いでのF4Fの報告撃墜戦果は8機、自機は2機とも失われていますが、日本側の記録でも損害は対空砲火による1機を除けば9機喪失となっていますから、これは正確な戦果でしょうね。」
「ア・・・アレ?なかなか善戦してるじゃない。」
「その後の数ヶ月はゼロ戦とF4Fの戦いはほとんど起きていませんが、2月20日に空母レキシントンのF4Fパイロット、オヘア大尉がわずか4分間に5機の一式陸攻を撃墜した有名な戦いがおこっていますね。この時期、F4F部隊は多くの日本の攻撃機などを撃墜しています。日本側の記録によれば、このときの空戦ではラバウルから出発した2個中隊の攻撃部隊のうち、無事に帰ってこれたのはたったの2機だけだったそうです。」





エドワード・H・オヘア大尉(最終撃墜戦果12機)











珊瑚海海戦



「ゼロ戦とF4Fとの本格的な戦いが起こったのは、1942年5月の珊瑚海海戦を初としてでしょう。」
「知ってるわよ!この海戦で零戦隊は敵艦載機を104機も撃墜する大戦果を挙げてんだから!」
「104機・・・・・?
まあとにかく海戦の経過は、初め米軍側が先手を打ち、2隻の米空母から発艦した攻撃部隊が日本空母の祥鳳を捕捉、このときに同空母の上空に上がった艦載機は96式艦戦2機とゼロ戦3機だけだったため、多勢に無勢でしたから空母祥鳳はあっという間に撃沈されてしまい、96式艦戦も2機ともF4Fに撃墜されました。」
「このとき、艦上攻撃機を護衛していたベーカー中尉の2機編隊のF4Fは、2機のゼロ戦と交戦、ゼロ戦は単機同士の格闘戦に持ち込もうとしますが、ベーカーはこれを無視。高速の一撃離脱降下を反復させ、低空に追い込んだ両機を撃墜しました。これが、F4Fがゼロ戦を撃墜した初戦果です。」
「一方、午後になっても敵部隊の位置を掴みかねていた日本側の2隻の空母部隊は、推定敵位置に向かって護衛機無しの27機の艦攻と艦爆部隊を発艦させましたが、この動きは米艦側にレーダーによって筒抜けになっており、迎撃に上がったF4F部隊によって日本側損害記録で9機が撃墜されました。しかしこのときにF4Fも2機を失っています。」
「翌朝、米空母のレキシントンとヨークタウンは、日本艦隊攻撃のため、15機のF4Fを含む合計75の攻撃隊を発艦させます。これを迎え撃つのは13機のゼロ戦で、始めに攻撃をかけたのはヨークタウンの部隊ですが、F4Fの護衛を離れた艦爆2機がゼロ戦に撃墜された代わりに450kg爆弾2発を空母翔鶴に命中させ、同艦を発着艦不能にさせました。」
「その後遅れていたレキシントンの部隊は雲の中で編隊が崩れてしまい、空母攻撃に参加できたのは4機のF4Fと15機の艦攻、艦爆だけで、ゼロ戦1機を撃墜した代わりにF4F 4機の内3機が撃墜されてしまい、攻撃は失敗に終わりました。」
「最後に攻撃をかけたのは日本の艦隊側です。日本の攻撃部隊はゼロ戦18機と41機の艦攻、艦爆で、それを迎え撃つ米軍の側は17機のF4Fと、23機のドーントレス艦爆。
まず単機で突っ込んで1機の日本艦攻を撃墜したF4Fが数機のゼロ戦に襲われて撃墜されてしまいます。このとき他の1機のF4Fも撃墜されました。同時に、ドーントレス艦爆は日本艦攻を2機撃墜していますが、ゼロ戦によって4機が撃墜され、レキシントンには2本の魚雷が命中しました。」
「その後、F4F 6機はゼロ戦6機との混戦で守勢に立たされますが、日本艦爆を1機撃墜する一方、レキシントンは2発の爆弾を受けました。その後に20機以上のF4Fが攻撃を終えた日本機を追撃し、日本損害記録で4機の艦爆を撃墜した代わりに、4機のF4Fが失われました。ドーントレスも5機失った代わりに4機の艦攻を撃墜しています。このとき1機のゼロ戦を含む7機が艦隊周辺に不時着しています。魚雷2発を受け行動不能になったレキシントンは友軍の魚雷で処分されました。」












ミッドウェー海戦



「次の両機の戦いは、1942年6月のミッドウェー海戦で起きました。ミッドウェー島を巡る一連の航空戦は、日本艦隊の4隻の空母から発進した36機のゼロ戦、72機の他の艦載機からなる攻撃部隊の同島に対する空襲から始まりました。対するアメリカ側の基地配備機は、F4F戦闘機 7機と、F2Aバッファロー戦闘機21機です。」
「知ってるわ!こんときの零戦隊は物量に勝る敵戦闘機部隊と交戦して、40数機を撃墜!
しかも友軍の艦爆部隊にはそれらアメリカ戦闘機を一切寄せ付けなかった!
「・・・・・私が言ったこと聞いていましたか?
何で28機しかいないのに40機以上も撃墜できるのでしょう・・・・・」
「始めにレーダーに映った日本機の大部隊を米軍はF4F 5機とF2A 7機で洋上迎撃に上がりましたが、F4Fが高空から日本機に降下攻撃を仕掛け、敵艦爆2機に火を吹かせたとたん、すぐにゼロ戦に襲撃され、1機が酷く穴だらけにされてしまい、パイロットも負傷したため基地に引き返しています。その後に米軍機合計24機と日本機の大編隊との間に激しい空戦が繰り広げられ、約一時間の戦いで、日本損失記録ではゼロ戦2機を含む10機を喪失、55機が損傷を負いましたが、米軍側もF2Aを十数機、F4F 2機を失っており、帰ってきたF4Fと残りのF2Aも多くが激しい損傷を受けています。」
「その後日本艦隊の位置を掴んだ米艦隊は、3隻の空母から日本空母攻撃部隊を発艦させましたが、そのうちの空母ホーネットの部隊は、完全な新米の集団であったため、全機発艦に40分以上も時間をかけ燃料を無駄に消費したばかりでなく、目標の発見に失敗したため、すべてのF4Fは母艦に引き返しますが、訓練不足が祟って10機のうち8機が海上に不時着してしまうという悲惨な結果になりました。」
「護衛機をすべて失ってしまった同部隊の艦攻15機は、その後日本艦隊を発見しますが、全機がゼロ戦に撃墜されてしまうという悲劇が起きています。ほとんど何もしないうちに艦爆以外のホーネットの艦載機は壊滅してしまいました。」
「空母エンタープライズの部隊も似たようなもので、護衛のF4Fは艦爆とのランデブーに失敗し、艦爆14機はまたも丸腰で、2倍以上のゼロ戦の群れに突入するハメになり、10機が撃墜されています・・・・」
「一体何やってんの?錬度が低いにもほどがあるんじゃない?」
「このときほとんどの部隊が実戦参加は初めてのことだったんです。
逆に言えば、日本側は中国以来の歴戦のパイロットを多数そろえ、
洋上航法も満足にできないような米軍パイロットを翻弄していた
ことになります。」
「頼みの綱は、最も遅く艦載機を発艦させた空母ヨークタウンの部隊でしたが、攻撃に飛び立ったF4Fは6機にしか過ぎず、残りは母艦防衛に当てられ、この少ない機数で29機の艦攻、艦爆を護衛しながらゼロ戦の群れに突っ込まなければならなかったのです。とはいっても、この部隊は他の空母のパイロットたちとは違い、少なくとも航法を間違えることなく日本艦隊まで到達することはできました。」
「しかし敵に近づくやいなや、6機のF4Fは突如ゼロ戦15機以上に背後から襲撃され、1機が撃墜されます。反転したサッチ少佐のF4Fはゼロ戦3機を撃墜し、他の2機編隊も多数のゼロ戦と交戦して2機を撃墜しますが、艦攻の援護は不可能であったため、全機の艦攻が撃墜されるか、または不時着してしまいます。日本空母は無傷でした。」
「ですがその後、護衛のゼロ戦群は皆すべて低空に集中していたために、遅れてやってきた米急降下爆撃部隊が中高度から空母群に攻撃をかけた際、これを邪魔するものがいなく空母赤城、加賀、蒼龍の3隻はすべて撃沈されます。」
「残る1隻の日本空母飛龍はすぐさま、6機のゼロ戦と18機の艦爆を敵部隊攻撃に出撃させ、空母ヨークタウンを目指します。
一方ヨークタウンのF4Fは、応援に来たものも合わせ20機が上空で敵を待ち受けており、これと交戦した日本機は4機のゼロ戦と18機の艦爆でした。
さっきのF4Fとゼロ戦の立場が逆になったこの戦いは、日本側の損害記録によればゼロ戦はF4Fによって、4機のうち3機が撃墜され、艦爆も11機が撃墜されていますが、F4Fを突破した日本の艦爆はヨークタウンに損傷を与えることに成功しました。」
「空母飛龍はヨークタウンに第二次攻撃隊を送り込みます。それはゼロ戦6機と艦攻10機の部隊でした。迎撃したのは16機のF4Fで、2機が撃墜されたものの、日本の喪失記録によればF4Fによってゼロ戦3機が撃墜され、艦攻も5機が撃墜されました。数機の艦攻は防御を突破し、ヨークタウンの撃沈に成功、その後に攻撃をかけた米艦爆が日本の飛龍を撃沈して、ミッドウェー海戦は幕を閉じました。」




「純粋にここまでの戦いを振り返ってみると、戦闘の中でのF4Fとゼロ戦との損失比は、
つねに数が多かったほうが少ないだけで、両者の間にそれほど大きな優劣は存在しないかのように思えます。」
「ただ、ゼロ戦のパイロットの多くが中国戦線での実戦経験があるのに対して、F4Fのパイロットのほうは、実戦参加が初めてという人たちが大多数であったようですから、ゼロ戦がF4Fの性能を凌いでいたとは特に言えないでしょう。またミッドウェー海戦では、米軍側で、『サッチ・ウィーブ』と呼ばれる編隊空戦術が一定の効果をあげています。」
「このサッチ・ウィーブというのは、サッチ少佐が考えた・・・・とされる、戦闘機を2機のペアで運用し、お互いに後尾を守りあうようにする一撃離脱の編隊空戦術です。」
「そ・・・そのサッチ・ウェーブとやらはつまり、1対1では零戦に勝てないもんだから、
2機で攻撃しようという物量作戦でしょ?」
「ウェーブではありません。ウィーブです。あなたは戦術というものをまったくご存じないのですね。
これが単なる物量作戦なら、2機どころか3機でも4機でも束になればよいではないですか。
しかし、それでは駄目なのです。2機でないといけません。」
「何でもかんでも米軍イコール物量だとかいう貧困な発想につなげてはいけませんよ。
F4Fは1対1ではゼロ戦に勝てないこともあるかもしれませんが、この戦法によって2機の編隊になれば、4機のゼロ戦を圧倒できると言われたのがそのよい例です。」
「ところでこのサッチウィーブ、どこかで似たようなのを聞いたことがありませんか?
そうです。これはドイツ空軍のロッテ戦術とほとんど同じものなのですよ。
とうの昔からルフトバッフェでは常識になっていたこの空戦法に、わざわざ別の大層な名前をつけて採用している辺り、いかにアメリカの航空部隊というものが実戦経験に乏しい素人の集団であったのかがうかがい知れますね。」
「まあ最も、イギリス空軍も、このロッテ戦法の圧倒的なアドバンテージを十分理解していながら、
『ドイツ人の真似をするのはイヤだ!』とか言って、最後まで伝統的な3機編隊にこだわり続けた部隊もあったといいますから、意地の問題だったのかもしれませんね・・・・・」
「ロッテ戦術は第二次大戦での各国の基本戦術になりましたが、現代の航空戦でもこの戦法は採用され続けているんですよ。」
「ミッドウェイ海戦後、戦局の焦点はソロモン群島方面に推移していきますが、この頃からやっと実戦を経験したことによって、対戦闘機戦闘法などが米軍航空隊に確立してきます。また珊瑚海やミッドウェーでは戦闘機同士の戦闘自体も規模がそれほど大きくはなく、ゼロ戦とF4Fとの違いを知る上で重要になる本格的な航空戦が勃発するのが、これからお話しするガダルカナル島をめぐる一連の航空戦です。」












ガダルカナル島上空戦



「1942年8月7日、米軍の陸上部隊はガダルカナル島に上陸し、その上空援護を勤める3隻の空母のF4Fは、初空戦で2式水戦7機を撃墜しますが、ラバウルの日本海軍航空部隊はこの空母を撃滅するために、一式陸攻27機護衛のゼロ戦17機で攻撃にやってきます。」
フヒッ!歴戦の台南空のお出ましですな!」
「そうです。このラバウルの台南空とは、坂井三郎、笹井醇一、西沢広義などの有名なゼロ戦エースがたくさんいることで知られる、実戦経験豊富な部隊でした。対するこのときのアメリカ側の航空部隊はまだほとんどが実戦を経験しておらず、サッチ・ウィーブの訓練すらほとんどしていないルーキーの集団だったのです。」
「この日の台南空の戦果は笹井隊長が5機、西沢が6機、坂井が3機撃墜など、総計42機の敵機を撃墜という驚くべき戦果をあげた!ゼロ戦と優秀な搭乗員のすさまじい強さを稚拙な米軍どもに見せ付けてやったのよッ!」
「・・・・・結論から申しますと、アメリカ側の記録では、この日に空戦で撃墜された米軍機は8機です。逆にアメリカの戦果は、日本の損害記録によれば、陸攻・艦爆15機、ゼロ戦2機の合計17機です。新米ばかりの割には米軍は健闘したほうなのではないでしょうか?」
「・・・・・」
「このとき米艦隊の位置していた場所は、地形条件が悪かったためにレーダーが有効に機能せず、44機の日本機が接近したときに迎撃できたのはたった4機のF4Fだけで、日本陸攻編隊の攻撃を妨害することに失敗してしまいますが、離脱する陸攻を追って4機を撃墜しました。続く空戦でさらに陸攻2機とゼロ戦1機を撃墜しましたが、F4Fも4機すべてが失われてしまいます。」
「次に迎撃に上がったF4F 8機は、陸攻数機を撃墜しますが、多くのゼロ戦と交戦して5機が撃墜されてしまいました。
その後、日本の艦爆9機が再び攻撃に訪れましたが、4機のF4Fによって4機が撃墜されています。」
「あくる日の8日は、ラバウルからは15機のゼロ戦と、23機の陸攻が艦船攻撃のために出撃してきました。迎撃に上がったのは4機のF4Fで、陸攻4機とゼロ戦1機を撃墜、他の陸攻も多数を撃墜し、日本側の損害記録ではこの日、陸攻18機、ゼロ戦1機喪失となっています。一方で、撃墜された米軍機はゼロでした。駆逐艦が一隻撃沈されていますけどね。」
「この2日間の戦いで、両軍の損害記録を調べみると、米軍は8機が空戦によって撃墜され、最終的に18機のF4Fや艦爆を失っていますが、日本は陸攻・艦爆が計27機撃墜され、他に6機が不時着・大破し、護衛のゼロ戦は3機が撃墜されています。歴戦の台南空に対してであっても、アメリカ側の新米パイロットは特に対抗不可能なことでも全くなかったといということがよくわかります。」
「それと注目すべきは日本側の戦果誤認の多さですけども、5倍とは尋常ではない数字ですよね。
後世の日本機オタクに大きな夢を与えた台南空の活躍ですが・・・・・」
「・・・・」
「日本の戦果誤認の多さは、おそらくF4Fの防御力の高さに起因するところが大きいのでしょう。F4Fの防御力では、ゼロ戦の7.7mm機銃がいくら打ち込まれても煙さえはかなかったですが、たくさん被弾して穴だらけになったF4Fが急降下で離脱するのを見て、ゼロ戦パイロットは自分が撃墜したものだと思い込み、そのまま帰還したら平気で5機撃墜!だとか申告することも多かったのでしょう。」
「防御力の一切ないゼロ戦と違って、米軍機は被弾は即墜落ではないのにですよ。
こういうことが積もり積もってゼロ戦神話とかいう胡散臭いおとぎ話が形成されていったのでしょうね。」
「8月20日、アメリカが奪取したヘンダーソン飛行場に、新たに海兵隊のF4Fが降り立ちました。このパイロットたちの中で、実戦を経験したことのあるのはミッドウェーにも参加したカール大尉、カンフィールド中尉だけで、あとの20数名は例のごとく新米でしたが、これがいわゆる暗号名カクタス航空隊と呼ばれる、ガ島における米軍航空戦力の核です。」
「彼らの到着翌日、ゼロ戦6機が島の上空に現れ、F4F 4機との間で戦闘が起こります。このときスミス少佐のF4Fは、1機のゼロ戦を撃墜しますが、F4Fも1機が被弾の後不時着しました。それ以来3日間の間に、この部隊は1機の損失のかわりに、5機の敵機を撃墜し、士気が大いにあがります。」
「8月下旬に入ると、日本はガ島に上陸部隊を送り込むため、空母3隻を主力とする支援部隊で、ヘンダーソン飛行場の攻撃に着手しました。空母龍驤から発艦したゼロ戦15機と艦攻6機は、上空で待機していた14機のF4Fと交戦し、少なくともゼロ戦3機、艦攻3機が撃墜されましたが、F4Fの側もパイロットが3名失われました。」
「米軍は反撃のために、近くにいた2隻の空母から攻撃隊を発艦し、龍驤を撃沈しましたが、米空母の位置を掴んだ日本側は、ゼロ戦10機と艦爆27機で空母に攻撃に向かいます。米軍側は38機のF4Fを配置していましたが、技量不足による不手際から、これの迎撃に向かえたのは11機に過ぎず、12機はゼロ戦に阻止され、15機は日本機が攻撃を終えたあとで戦闘に参加しました。このときの日本側の損失記録ではゼロ戦6機と艦爆18機が撃墜されています。空母エンタープライズは3発の爆弾を受けましたが、日本軍の上陸作戦は失敗に終わりました。後にこの戦いは第二次ソロモン海戦と呼ばれました。」
「8月30日、カクタス航空隊はガ島上空に現れたゼロ戦18機を迎撃し、日本側の記録では8機を撃墜するなどの大活躍をしていますが、新たに増援としてやってきた新米の部隊VMF-224は初出撃で、17機中3機が撃墜された挙句戦果無しなどの辛酸を舐めることもありました。」
「日本海軍航空隊は、激しい消耗を続けながらも、数日置きにガ島に攻撃を繰り返し、そのたびに激しい空中戦が繰り広げられています。8月20日以降のVMF-223の報告された撃墜戦果は、ゼロ戦47機陸上攻撃機53機にものぼった一方、この部隊の戦闘による死傷者は8名です。エースもたくさん輩出されました。スミス中佐は19機撃墜、カール少佐は15.5機撃墜を記録しています。」
「そ・・・それは米軍の勝手な報告戦果でしょ?」
「そうです。ですからそれほど厳密な数値ではありませんが、おおよその目安にはなるのではないでしょうか。
実際の両軍の損害比は、今教えてあげましょう。」
「これが台南空が攻撃を諦めた11月ごろまでにおける、カクタス航空部隊の装備するF4Fの損失と、日本機の損害報告の損失の比較です。」





日本機の実損害=260機程度
F4Fの戦闘損失=101機   





「割合にして2.5対1です。F4Fは2倍以上の日本機を撃墜しました。日本側の損害の内訳はよくわかりませんが、カクタスのF4Fのほうが台南空のゼロ戦よりも優勢だったことは明らかでしょう。もちろん日本は攻撃側であり、また作戦自体のまずさが多分にあったということは以前私が言ったとおりですけども、結局ゼロ戦は最後まで、シナ事変以来のベテランぞろいである台南空でさえも、ほぼ同世代機と言っていいF4Fを一度も圧倒することはなく、逆に戦法の確立したF4Fに圧倒されるという結末をむかえたのです。」
「そ・・・そんな・・・・・F4Fは格下だとばかり・・・・」
「F4Fとゼロ戦の勝負の明暗を分けたのはやはり、武装防弾編隊空戦の3つが大きかったのではないでしょうか。
ガ島上空戦で言ったら、ただでさえ無茶な長距離侵攻作戦に加えて、あの絶望的なゼロ戦の防弾装備では、高初速・高発射速度の12.7mm機銃6門を装備するF4Fの急降下攻撃に耐えられるわけもなく、一度火を吹いたら絶対に助からなかったのに対して、ゼロ戦の装備する20mm機関砲は爆撃機以外にはめったに当たるものではなく、かといって2門の7.7mm機銃ではF4Fに致命傷を与えることは難かしいですから、パイロットの技量をもってしても、この機体の差を補いきれるものではなかったのでしょう。」
「ゼロ戦が編隊空戦ができない飛行機であったこともそうです。ゼロ戦の無線機はよほど近接しないかぎりはほとんど僚機と通じることはありませんでしたから、自ずと集団で連携プレーなどできるはずもなく、米軍パイロットには日本のパイロットは常に各々バラバラに行動し、協調性のかけらもない連中だ、などと酷評されてしまうこともあります。しかしそれはやりたくても不可能であっただけの話で、まともな無線機一つ作れない日本の工業力には悲愁を感じさせてくれます。」





「ついぞゼロ戦が勝つことのできなかったF4Fですが、米海軍はこのF4Fの性能に不満を感じており、これの後継機として2000馬力のエンジンを搭載した新戦闘機のF6Fヘルキャットを1943年に入ってから採用します。」





グラマンF6Fヘルキャット(米)




「この新型機の登場によって、ゼロ戦と米海軍機との間にはもはや埋めがたいほどの性能差がついてしまい、これ以後のゼロ戦はほとんど撃墜されるだけのカモに成り果てました。もともとこのF6Fはヴォート社のF4Uコルセアの保険として開発され・・・・・・」
「F6Fは、ダッチハーバー近郊で鹵獲された
零戦を元に作られた機体だ。」
「・・・・・・・・もう、いい加減にしてほしいです。
日本機に見るべき技術など何もなかったと何度言ったらわかるのでしょう?」
ウーソーよーッ!!
米軍はダッチハーバーで鹵獲した無傷のゼロ戦を、まるで
宝物でも拾ったかのように狂喜して自国に持ち帰った!!そしてあらゆる面から徹底的に試験を繰り返してその先進的な技術の数々におったまげたの!
その結果を利用して作られたのがそのF6Fよッ!」
「それでF6Fは、『ゼロ戦を徹底的に研究して作った戦闘機なんだから勝って当たり前だ』とでもいいたいのですか・・・・
残念ながら、というか当然ですがF6Fの設計方針にゼロ戦は何の関係もないですよ。
簡単に言えば、F6Fは2000馬力のエンジンに合わせたF4Fの拡大改良版です。その技術的特長は前回と同じ確実・堅実。
ゼロ戦が米軍に捕獲されたころにはもうすでに初飛行を遂げています。」
「だ・・・だってホントに根ほり穴ほり調べてんのよ?鹵獲したゼロ戦を米軍は。
それって優秀な技術を盗もうと画策してやってるに決まってる!」
「そりゃ敵から捕獲した戦闘機なら、詳細に性能を検証しようとするに決まっているでしょう。
ドイツのBf109もFw190も同様に事細かに調べられています。」
「自分たちの物まねしかできないと半ば嘲っていた日本人が、
驚愕の新技術を独自開発していたことに彼らは恐れおののいた。」
「・・・・1942年6月にアリューシャン列島、ダッチハーバーで米軍に無傷のまま捕獲されたゼロ戦21型はアメリカ本土に移送され、技術者によって詳細に調査されましたが、その結果予想通りといってはなんですが、ゼロ戦を構成する部品は、戦前にアメリカなどが与えた技術をほとんどパクって製作されていることが確認されます。」
「すなわち、エンジンはプラット&ホイットニーの派生品、機銃やプロペラは各国のライセンス生産品、各種儀装品も各国の物の寄せ集めで、特別な技術は一切用いられていないということです。」
「それでも、ゼロ戦が日本の工業力が作れるエンジン馬力の割には上昇力などが良好に見えたのは、機体にバカ穴を一生懸命に空けに空け、防弾鋼板も一切取り付けない自殺機仕様に改造したことによるものだとわかったことは少なからず収穫だったといえましょう。」
「ただ昇降舵の操縦系統がフニャフニャになる点だけは、自分たちが日本に教えてあげた技術ではないことが驚きを与えています。
日本人にも少しは自分たちで考える頭があるのだな、って。侮蔑的にすぎる言い方でしょうか?」
「大いにそうよッ!ふざけないでッ」
「そもそも、ゼロ戦はアリューシャン以前にも連合軍によって中国で捕獲されていたのですが、日本の技術水準なんてタカが知れているということを知っていた連合軍は、これを無視してしまったという経緯がありました。」









「機体の技術は大したことないだろうという予想はその通りですので問題はなかったのですが、
ただ一つ、彼らアメリカ人が犯した日本機に対する最大の誤算は、日本人には戦闘機の操縦は不可能だろうと考えた事です。」
「その当時の日本は、道路舗装率が1%未満で、自動車免許取得者すらめったにいなかったという、機械文明とはおよそ無縁な未発達の国という印象がありましたから、田舎の農民でも自動車の運転が可能なぐらいのモータリゼーションの発達したアメリカや、スポーツグライダーが爆発的な人気を博していたヨーロッパなどに比べて、日本人に航空機のような複雑な機械の操作を早急に習得するのは不可能だろうと考えられたのもあながち的外れな意見でもなかったのです。」
「しかし、よく訓練されて実戦経験も豊富な日本人パイロットは、時として連合軍の実戦参加経験を持たないパイロットを圧倒したということは、いまさら述べるまでもない史実でしょう。」
「たとえ発展途上国ではあっても、他は無視してある一つの目的だけにリソースを集中し、何かを成功に導かせることが不可能ではないのです。事実、日本の航空機操縦可能なパイロットの数は、自動車の運転手の数に匹敵するまでに増やされていたのですから。
航空機を牛車で工場から空港まで引いていくなどというおよそミスマッチな光景が戦前の日本で見られたということも、欧米人には同様に信じられないようなことだったでしょうね。」
「待って!待つのよ!中身じゃない!零戦の空力的特長を見て欲しいのよ!」
「まだ言ってる・・・・・」
「F8Fベアキャットこそゼロ戦を参考にして作られた機体。」
「本機の小型軽量化と空力的洗練の設計方針こそ、ゼロ戦を参考にしたという何よりの証拠。
グラマン社が緒戦でコテンパンでやられた意趣返しのような執念で造り上げた『アンチ・ゼロファイター』が、
このF8Fだったのだ。」





グラマンF8Fベアキャット(米)




「なぜわざわざゼロ戦の空力的特長を真似しなければならないのでしょうか・・・・
同盟国にそれとほとんど同じ機体があるのにですよ。」
「それに、F8Fはグラマン社でF6Fの後継機として1943年から開発が始まった機体ですが、これの開発の契機となったのはイギリスで捕獲されたフォッケウルフFw190の試乗レポートを、グラマンの社長が読んだことです。」
「ドイツ機の設計方針というのは、極力小型に切り詰めた機体に大馬力のエンジンを搭載することで高性能を狙っていますから、そのせいでFw190などはカウリングに余裕がなさ過ぎ、初期型では随分とエンジンの過熱に悩まされています。そのことを知っていた英国の技術者は、F8Fの同様の設計を見たときに、エンジンの過熱問題をすぐに指摘したくらいです。」
「一方ゼロ戦の設計コンセプトは、低出力エンジンを搭載した比較的大型の機体に、バカ穴を空けるなどしてして軽量化をはかり、燃料をたくさん積むというもので、F8Fのそれとは似ても似つかないということは明らかでしょう。」
「ずいぶんと夢を与えてくれるF8Fのゼロ戦参考説ですけれども、
日本人が書いたもの以外にはみんな、F8Fがゼロ戦を参考にしたなんてとんでもないこと書かれていません。
日本人がただ単にそう思いたがっているというだけの話でしょうね・・・・・」
「あああ・・・・」
「よけいな話を長々としてしまいましたが、F6Fヘルキャットの設計の話に戻ると、F6Fは元々、ヴォート社の艦上戦闘機、F4Uコルセアの保険という意味合いが強く、技術的にも堅実さ第一で、2000馬力級のエンジンに合わせたF4Fの発展版と考えて差し支えありません。ですからこれをゼロ戦の発展と一緒に時系列順で見てみると・・・・・・」




零戦21型 F4F
エンジン馬力 950馬力 1,200馬力
初飛行 1939年4月 1937年9月

零戦52型 F6F
エンジン馬力 1,130馬力 2,000馬力
初飛行 1943年夏 1942年夏





「ゼロ戦がその改良によって、180馬力のエンジン出力の発展を遂げていたのに対して、F6FはF4Fから800馬力も出力がアップしています。そしてこれが両機のカタログスペックの比較です。」





零戦52型 F6F-3
エンジン馬力 空冷1,130馬力 空冷2,000馬力
最高速度 565km/h 605km/h
航続距離(最大) 1,920km 2,560km
海面上昇率 1,372m/分 1,067m/分
武装 20mm×2、7.7mm×2 12.7mm×6
その他搭載 60kg×2 454kg×1, or
5inロケット弾×6
重量 2,733kg 5,643kg
初飛行 1943年夏 1942年夏
シリーズ全生産機数 10,449機 12,275機






「1,130馬力のゼロ戦52型に比べて、2,000馬力のF6Fは最高速度が余りにも遅いような印象がありますね。しかしそれは、F6Fの重量が、ゼロ戦の2倍以上という点からも明らかなように、F4Fよりもさらに強化された機体構造、合計約98kgにも達する防弾装甲など、ゼロ戦には到底備わっていない基本性能がてんこもりだからです。」
「水平速度では確かにF6Fはゼロ戦よりも40〜50km/h速い程度ですが、一旦急降下に入れば
その速度は実に時速900kmにも達し、ゼロ戦は決してこれを追尾することはできませんでした。」
「その堅牢な防弾装置は、いくら日本機に撃たれてもタンクに火はつかず、乗員すらも傷つかないと日本のパイロットを嘆かせます。それは、たとえ新米の乗るF6Fが、ベテランの乗るゼロ戦に大量に機銃弾を浴びせられて穴だらけにされても生還できるということを意味し、そして次にそのパイロットがゼロ戦と対戦したときには、彼はもうルーキーではないのです。」









「巨大な面積の主翼は、艦上運用での取り回しを良くし、さらにやろうと思えば
格闘戦でもゼロ戦を圧倒できるという、
もはや日本側には救いようのないような状況を作り出してしまいました。」
「F6Fなどの、ゼロ戦を性能面で完全に圧倒する新戦闘機を手にした米海軍はその後、日本海軍に対して始終有利な戦いを繰り広げていきますが、その中でもF6Fの活躍の一つの頂点ともいえるのが、1944年6月のマリアナ沖海戦をおいて他はないでしょう。」
「この海戦の19日の戦いでは、マリアナ諸島を占領しようとする米機動部隊を殲滅するため、日本の攻撃部隊は数次にわたって480機もの航空機で米空母を目指して飛んでいきましたが、300機あまりのF6Fの迎撃と空母の対空砲火によって阻まれてしまい、
その内275機が撃墜されたとされ、2隻の空母も撃沈されてしまうというまさに一方的な惨敗を帰したのです。
その際の米軍のF6Fの損失はわずか23機でした。」
「マリアナ沖海戦での米軍側の死者は40人弱で、他方空母を3隻撃沈された日本側は700人ものパイロットが死んでいます。
このあまりに一方的だった航空戦に、アメリカでついたあだ名は
『マリアナの七面鳥撃ち』。F6Fにとってみれば、
ゼロ戦を撃墜するのはそれこそ、地べたをのそのそ歩く七面鳥を射的するゲームに等しいぐらい簡単だというのです。」
「なにが七面鳥撃ちよ!
このとき米艦艇はVT信管付きの超高性能な新砲弾で対空射撃を行った!
大多数の日本機は対空砲に撃墜されただけで
F6Fによる撃墜数は大した数じゃない!
「確かにこのとき、米軍側はVT信管と呼ばれる、近くにいる敵機を探知して勝手に爆発する新型信管を搭載した画期的な砲弾を実戦で用いました。しかし、もともと艦艇の固定銃座による対空射撃の命中率は極めて低いものなのです。それはたとえ1%の命中率が3%になろうと、これらの装備だけで、進入してくる敵機を大量に撃墜するなどということは不可能で、この海戦でも敵機を撃墜したのは大多数が艦隊直援のF6F戦闘機であって、対空砲火にやられた日本機など大した数ではないのですよ。」





艦上から空戦を見守る艦艇要員たち




「この日のF6F隊による報告撃墜戦果は、250kg爆弾装備機も含めたゼロ戦210機、その他148機の合計356機ですから、日本側の戦闘損失記録の275機とそれほど大きく異なるものではありません。この結果、パイロットが発した一言、『まるで昔の七面鳥狩りのようだった』から、マリアナの七面鳥撃ちという言葉ができたのです。VT信管の力があまりにも過大に評価されているのだとしたら、それはF6Fに負けたことを認めたくない、あなたの単なる負け惜しみの一つなのではないでしょうか。」
「結局、大戦を通じてのF6Fヘルキャットの日本機の撃墜報告戦果は、5,156機にも達し、一機種による日本機撃墜の最高記録だそうですけども、一方で大戦中に失われたF6Fの機数は270機ですから、キルレートは19:1でしょうか。
もちろんこの数字は米軍発表のもので、それなりの重複などがありますが、それにしても凄い数字ですよね♥」
・・・・・
「さらに、米国防総省発表の、太平洋戦争全体での日本機と米軍機との航空機の撃墜、被撃墜数を見比べて見ますとね、1941年暮れの開戦から1942年までの緒戦の時期に、米海軍機が266機撃墜されたのに対し、日本機は858機撃墜され、その比率は1:3.2でしたが、」
「1943年になると米海軍機233機に対して日本機1239機、比率は1:5.4、」
「1944年には、米海軍機261機に対して日本機4024機、比率は1:15.5、」
「1945年から終戦までになると、ついには米海軍機146機に対して日本機3161機、比率は1:21.6・・・・」





米海軍機と日本機との撃墜比率

米海軍機の被撃墜数 日本機の被撃墜数 比率
開戦から1942年まで 266  858 1対 3.2
1943年 233 1239 1対 5.3
1944年 261 4024 1対15.5
1945年から終戦まで 146 3161 1対21.6
906 9282 1対10.2

米公刊史より





「最終的な米海軍機と日本機との大戦を通じてのスコアは、906機:9282機だということです。
この数字には地上撃墜は含まれていないことにも留意してくださいね。」
「んなもん不正確極まりない数字に決まってんでしょうがッ!
アメリカ人が1万機撃墜したと言えばそう書かれるだけよ!!」
「確かに全面的に正確なわけはないでしょう。また、終戦間際の大量のスコアはたくさんの特攻機を撃墜して稼いだものも多いはずです。しかし、たとえ日本は緒戦の段階であっても大量の犠牲を払っており、両軍の損害報告を比べてみればそれは明らかで、従来日本人に信じられていたようにゼロ戦も一方的な活躍ができたわけではないこと、これは間違いなく事実です。」
「結局、ゼロ戦はアメリカを奇襲した直後はパイロットの実戦経験の豊富さと物量の多さで連合軍の旧式機を圧倒しましたが、それでも新米の乗る同世代のF4Fとはせいぜい互角の勝負。護衛すべき味方機は大量に撃墜され・・・」
「米軍のパイロットが戦い方を覚えはじめたころには逆に自らも圧倒されるようになり、F6Fの登場をもって、ついには空飛ぶ七面鳥に成り下がりました。これがゼロ戦の実戦での活躍とやらの真実です。」
「キャアアアアアッ!!
「でっ・・・・でも、ひとたびは米軍に
『零戦と積乱雲は避けてよい』とまで言わしめたのよ?
その一言は幻だったっていうの?!
白人どもは日本の作った零戦に恐れおののいたからそんなこと命令したんでしょうが!!」
「それ、ドイツのFw190が登場したときにも全く同じことが英空軍内に通達されませんでしたっけ?
正体のよくわからない新鋭機が戦場に現れた際に、積極的に攻撃すべきでないという命令が下っても、
そんなに特殊なことでもないのではないでしょうか。」
「加えて、登場時には極めて高性能だったFw190の場合は、特殊部隊による強奪作戦まで現実に計画されたのにたいして、零戦の場合は旧式機でなければ対抗できなかったわけでは全くありませんから、それと比べても尚更大騒ぎするようなことではありませんよね。」
「んなこと言ったって、当のアメリカ人自体に零戦のことを誉めそやす人物が多いのよ?!日本人であるアナタのほうが零戦をこき下ろすって、一体どういう話よ!!」
「こんなことを言うのもなんですが、ゼロ戦を必要以上に賞賛したがるアメリカ人がいるとしたら、それは大抵一つの意図のためにそう発言する場合が多いのです。つまり、
『ゼロ戦は凄かった。したがってそれを倒した僕たちは、もっと凄いという論理なのですよ。
特に日本海軍をやたら強敵だったと主張したがる輩は、間違いなくソレです。」
「英米人が敵を褒め称えることが多いのは、それが勝者の特権だからであって、日本人などがそれを真に受けて悦に入るなんてあまりに情けない光景だという印象をぬぐえませんよね。日本人は特にそういうのに悪乗りしがちですから・・・・・」
「ゼロ戦が名機などではないということはちょっと考えたらすぐわかりそうなものでしょう。簡単なことです。
自分が乗ってみるならゼロ戦かF4Fのどちらがいいかと考えてみればいいのです。」
「も・・・もちろんワタシなら零戦を選ぶわよ!たとえ自分が新米でもねッ!」
「愛好家ならそうおっしゃるかもしれませんね。ゼロ戦の操縦は楽そうだからだとかいう単純な理由で。
「しかし、離着陸や低速の運動性がよいというだけでゼロ戦を選んだら、一回の実戦であなたは間違いなく死亡するでしょう。実戦はそんなに甘くはありません。防弾装置はない、無線が通じず僚機と連携できない、まともに使える機銃は7.7mm2つしかない、不利になっても急降下で離脱できない・・・・・・・・・・正に惨めな空飛ぶ納屋の戸です。
もっとも、特攻したいのなら何も言うことはありませんが。」
「しかし、F4Fならどうでしょうか。多少敵機に穴だらけにされても、生きて帰れる可能性は高くなります。生きて帰れれば経験をつめ、次には多少有利に戦うことができるようになるでしょう。戦争はその繰り返しが行えた者が、最終的には勝利するのです。」
工芸品として零戦が好きだ、などという人は大いに結構でしょうが、戦争の道具、つまり兵器としてみるならば、零戦が名機だ、もしくはあまつさえ最強だなどといってはばからない人は、ただの愚か者です。
戦争を舐めすぎだといっていいでしょう。」
「一発芸に秀でた曲芸機は、華々しくて一時は強いようだと錯覚してしまうこともあるでしょうが、長い目で見てみると、
絶対に堅実な設計の機体に勝つことはできません。
そういった真理をグラマンの戦闘機は宿しているがために、これほど日本ではF4FやF6Fは嫌われているのでしょう。」
「そうは言っても、当時の日本に他に何ができたっていうの?!
まともなエンジンが作れないような工業力だったのに、米英に立ち向かわなければいけなかった!
防弾や機体強度にまで手を伸ばす余裕がなかったの!
零戦は最強じゃなかったかもしれないけど、普通に考えて日本に適したいい機体よ!」
「日本に堅実な設計の航空機が存在していなかったら、何もこんなことはいいません。
日本のもう一つの主力戦闘機に陸軍の一式戦闘機「隼」という機体があります。」





一式戦闘機 隼 (日本陸軍)




「隼戦闘機は、初期にはゼロ戦と同じく機体強度の低さによる空中分解事故などが起き、また同じエンジンが用いられているにもかかわらず、カタログスペックがゼロ戦よりも低かったために、とかく日本人にはゼロ戦よりも軽視されがちな戦闘機なのですが、隼はゼロ戦とは異なり戦訓を取り入れて早期に燃料タンクや背面鋼板などの防弾装備を採用し、さらに生産性も考えて設計されていました。」
「戦争を通して改良の続けられた隼は、ついにはゼロ戦のスペックを上回り、大戦後半ゼロ戦が単なる空飛ぶ七面鳥として連合軍にあざけらるようになってからも、連合軍には『最後まであなどれない相手であった』として評価は低くなかったのです。隼は特に強い戦闘機とも言えませんでしたが、ゼロ戦ほど無残な敗北もすることもなく、日本にとって身の丈に合った戦闘機だったのではないでしょうか。」
「だってそんなこといったって、戦争がそんなに長く続くとは思わなかったんだもん!!
零戦は少数生産に終わるはずだったの!
そうすれば、一時的に日本の工業力以上の性能を発揮する零戦はベテランの操縦で連合軍を圧倒できるでしょ?!」
「・・・・・戦争が予定通りに発生し、予定通りに終了するなどということがあると思いますか?
さらに日本の場合は、確固たる落としどころもなかったわけですから、一発やらかして相手を怒らせたはいいですが、さっさと逃亡するか殲滅されるなどというのは、それはテロか何かであって、艦隊決戦思想ですらないのではないでしょうか。」
ヤアアアアッ!!
それでもみんな精一杯がんばったの!日本は追い詰められていたの!
与えられた状況の中で精一杯のことをやったのよ!後世の人間に非難する資格なんてないの!」
「その努力とやらが、
民間の練習機を武装しただけのような欠陥機で、パイロットの技量にのみ頼った自殺的な作戦をこなさせ、必然的にほとんどのパイロットが死に絶えた後は無責任な自爆攻撃をさせたことをさすというなら、余りにも無様だという評価を後世の人間が下しても、それは当然の事なのではないですか?」
「・・・・ちょっ・・・・ちょちょちょちょっと待って!」
「何がちょっと待ってです?」
「これは陰謀よッ!」
「・・・・・・。」
陰謀に違いないわッ!!」
「・・・・・一応聞いておきますが、どんな陰謀ですか。」
朝鮮人よ!
あまりに偉大すぎる大日本帝国とその大東亜解放戦争を否定したい
あのゴキブリ民族どもの卑劣な国家分断戦術に違いない!!」
「ご・・・ゴキって・・・・・
もう、ほんっと懲りませんね。
なぜかつての日本のことを話しているのに、現在の他国が無理やり出てくるのですか?」
「自国の産業水準に関する知識など微塵ももたずに無茶な設計要求を押し付けた軍部がいたのはどこの国の話でしょう?また、それがどんな結果をもたらすのか知っていながら、その要求をただ安易に満たすことしか考えなかった技術者たちがいたのは?人間の生理的限界を無視し、無謀な作戦ばかり強行した挙句、最後には統率の外道と呼ばれた自爆攻撃までさせた用兵家たちはどこの人だったのでしょうか?」
悲惨極まるというのが戦前の日本に関する私の率直な感想です。
時々、この時代を神の国か何かのように崇拝している輩がいるようですが、老人が昔を懐かしんで言うならともかく、
戦後生まれなら新興カルトかなにかの部類でしょう。」
「現在の他国を卑しめてまで、戦前の日本を持ち上げたがる人たちは、
きっとかつての日本に美点なんて何も見いだせないからそんなことせざるを得ないのでしょうね。」
「・・・・・・。」
「と・・・ときに話は変わるが、ミサイル全盛時代の到来したここ最近、戦闘機の性能で再び格闘性能が注目されてきたことをご存知ですかな?」
「・・・・」
「日本の空自も使用しているF-15なんて格闘戦もこなせる超一流戦闘機!
言うなれば、F-15は零戦の生まれ変わり
「甦った!甦ったのよ!
零戦は平成の世に復活したのよおおおお!!!
零戦の設計思想は間違ってはいなかった!!」
「・・・・もう、カルガモの赤ちゃんのごとく格闘戦万能主義がインプリンティングされた日本機マニアの方に、これ以上の格闘性能についてのご説明をする気はありません。ただ、昨今の戦闘機というのは、エンジン出力が強大になった結果、戦闘機の一応の速度目安であるマッハ2を超えてもまだ余剰推力が出るようになりました。」
「ハイグレード機であるアメリカのF-15なんかは、登場当時出力重量比が世界最高の機体です。あれは翼がなくともロケットのように垂直上昇できるくらいの出力なのですよ?ミサイル対策として運動性が盛り込まれたとしても、それはこの余剰推力のもたらしたもので、格闘戦第一主義に基づくものではありません。無論、最初から他を削って、リソースを格闘性能ばかりに投資したゼロ戦などとの設計方針の共通点は全くないでしょう。」
「じゃあおしまいよ!もうおしまい!
零戦の栄光なき日本は
沈没するわ!」
「なぜそんな下らないことで日本が沈没するんですか・・・・・」
「何だったの!?・・・・何だったっていうのよッ!
ワタシだけじゃない・・・・・・日本人なら誰でも、零戦が世界最強の戦闘機だったという神話をずっと信じてきたのに!」
「神話というのは事実ではないから神話というのでしょう。」
「それが完全にウソだなんて誰が信じられるっていうのよ!?」
「日本人に限ったことではありませんが、人は誇りを抱いて生きてゆこうとするものです。」
「な・・・何よ、突然?」
「それがどん底の社会状況の中であれば、なおさらそういった誇りを求めようとします。
忘れてはならないのが、ゼロ戦の神話というのは、すべて戦後に作られたということなのですよ。
戦時中、ゼロ戦の存在は国民には秘匿され続けました。新聞などでは、ゼロ戦はただ海軍の『新型戦闘機』などという風に呼称され、国民によく知られていた戦闘機というのはむしろ陸軍の隼だったのです。」
「日本の敗戦によって、国民は大きなショックをうけました。それまで自分たちが信じてきた価値観というものが、すべて否定されてしまったのですから当然ですよね。プライドはずたずたにされてしまいました。あんなにがんばったのにもかかわらず、跡に残されたのは焼け野原だけ。とても惨めです。」
「そこへ一筋の光明のごとく現れたのが、
無敵のゼロ戦神話だったのです。」
「自分たちは確かにまちがっていたのかもしれない・・・・しかしかつて栄光はあったのだと。
完膚なきまで負けはしたが、一時的ながら連合軍をコテンパンにやっつけてやれたんだってね。
この妄想は盛んにマンガ、アニメや映画になって広く流布されます。」





0戦はやと

ゼロ戦レッド





「ところでちょっと思い出してもみてください。最近にもこれと似たような現象って起こりませんでしたっけ?
それというのは第二の敗戦とも形容された平成のバブル崩壊とそれに続く長期の不況です。」
「戦後は国の方向性を180度変えて、経済一筋でやってきたのに、強大な経済大国としての国際的名声を得たはずなのに、すっかりその権威は失墜してしまいました。軍事のみならず経済でまで敗北の辛酸を舐めてしまったことに、国民の自信は再び大いに失墜してしまいます。
そういった社会的状況に便乗して、日本はアジアを解放したとかなんとかいう骨子の『歴史修正主義』などというおよそ怪しげな潮流が台頭したりもしましたよね。」
「戦前の日本人はさながらピエロか何かでしょうか。日本人はこれからも何か困難にぶつかるたびに、この時代の日本をダシにして、惨めな自尊心を回復しようとし続けるのでしょうか?」
「ゼロ戦神話のほうは、多分に高度経済成長の原動力の一部になったという利点があるように思えますが、解放神話は全くといっていいほど日本に益をなしませんでした。あえていうなら、インターネット上にネオナチを量産したということぐらいでしょうか?」
「戦前の日本の惨めな模倣文化の象徴であるかのような零戦を崇拝し続ける意味なんて、現在の日本にはもうないですよね。戦後、高度成長を遂げた日本が作った工作機械がソ連に輸出された際、同国の原潜の水中雑音が低減して探知できなくなったなどとアメリカにお叱りを受けるほどにまで日本は技術革新を遂げて、世界に誇れる工業製品を作れるようになったのです。粗悪品製造国の代名詞だった戦前では考えられないようなことですよね。」
「もう胡散臭い神話の類は、史実で犯した過ちから盲目的になるだけで、百害あって一利なしです。
飛べない豚はただの豚。
国粋気取りや、狂信的なゼロ戦信者は、真の名誉や誇りなどというものは、堅実かつ現実的な努力をした者にだけ与えられるものであるということを知るべきでしょう。」
「そしてそれが理解できたとき、
ブタオさん、それに読者の中の一部の人たちにかかった魔法も解けるかもね!」
「・・・・・・」
「思えば、ワタシは間違っていたのかもしれない・・・・・」
「・・・・・・・・今何と?」
「ワタシは零戦が世界最強だと信じて疑わなかった。ゼロ戦を真剣に愛していたのよ。
しかし、愛する余りに、これを否定する人はすべて日本にコンプレックスを抱く他国の工作員だと決め付けたりした。
あまつさえ・・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・・あまつさえ、何の根拠もなくゼロ戦がアジア植民地支配の解放の象徴だ、などと・・・・
でも冷静になって考えてみるとそれは全く違う。」
「そう、
アジア解放の象徴と帝国海軍の真の栄光は零戦ではない!
戦艦大和にあったというのに!!」
「世界最大、最強の戦艦大和を語らずに何が大日本帝国だってんのよ?零戦なんて屁でもないただの工業製品じゃない!」
「目の錯覚ですね・・・・・・もう、あなたは一生ブタの姿でいるといいです・・・・」






〜fin〜


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参考書籍など



やっぱり勝てない?太平洋戦争―日本海軍は本当に強かったのか
「やっぱり勝てない?太平洋戦争」制作委員会 (著)

ゼロ戦や大和の最強説に異を唱えています


ジパング (18巻)
かわぐち かいじ (著)

日本機を撃墜しまくるスピットファイアMk5!
すばらしくカッコよい


続日本軍の小失敗 光人社NF文庫


最強兵器入門―戦場の主役徹底研究 光人社NF文庫


グラマンF4Fワイルドキャット 世界の傑作機 NO. 68


グラマンF6Fヘルキャット 世界の傑作機 NO. 71


グラマン戦闘機―零戦を駆逐せよ 光人社NF文庫