「ヨーロッパ機の航続距離が少ない大きな理由は、翼内タンクが装備されていないことにありました。
翼内タンクとは、飛行機の機体の中で比較的大きな面積を占めている翼の部分にまで燃料タンクを設置することで、
燃料の積載量が飛躍的に伸びるんですね。」
「プッ・・・ヨーロッパの戦闘機開発者たちはそんなことも知らないで航空機先進国面してたの?
馬鹿ね〜でもなおさら零戦の優秀さが際立つからいいけど」
「・・・・彼らが大した理由もなしに翼内タンクの増設に乗り気でなかったと思いますか。
ところでブタオさん、戦闘機が被弾する確率の最も高い部位はどこでしょう?」
「・・・・・」
ですよね。」
「当時のヨーロッパの空は過酷そのものでした。飛行場を飛び立ち、海峡上空でレーダーに探知されると敵機がすぐに迎撃に飛び立ってきて、激しい空中戦が展開されます。イギリス空軍の装備するハリケーンやスピットファイアは、7.7mm機銃を8〜12門も装備しており、両翼から放たれた弾丸は、まるでライスシャワーのようにドイツ機を包み込みました。ひとしきり作戦を終えたドイツの戦闘機や爆撃機は、穴だらけになって基地に帰還するのです。イギリス側も似たようなものでした。」












「穴だらけになって帰ってくるというのは逆に言えば、それだけヨーロッパの航空機の防御力は高かったということです。」
「つまり戦闘機の最も被弾確率が高い翼に燃料を詰めるのは、第一次大戦からの教訓もあってヨーロッパではあまりにも非人道的なことと認識されていたんです。翻って日本のゼロ戦の翼には翼内タンクが装備されており、これに一切の防弾処理も消火装置の設置もしていませんでした。」
「つまり、言うなれば、ゼロ戦はガソリンを充満させた空飛ぶポリタンクですよ。
流れ弾が一発でも翼に命中したならば、即火達磨になって空中分解する殺人飛行機です。
戦後、各国のガンカメラ映像を見た、世界最高の撃墜王であるエーリッヒ・ハルトマンは、
『日本軍機が簡単に発火しているのが印象に残った』
というコメントを残しています。」
「ちょっとまった!
弾など当たらなければどうということはない!零戦の高い運動性で敵弾などすべてかわせばいいこと!」
「かわせばって・・・・・マトリックスじゃあるまいし、一度も失敗せずにそんなことが可能だと思いますか?
飛行経験の浅いパイロットであれば、必ずといってもいいほど被弾しますし、ベテランであってもそれは例外ではないです。
要は、被弾しても火達磨などにならず、パイロットも死亡せずに生還できることが重要なのであって、
そんな神がかり的な技能に頼ったことでは、大切な人的資源をあっという間に消耗させてしまうことは防ぎようがないでしょう。」
「パイロットを保護するための背面鋼板などの装甲も、ゼロ戦には一切装備されていませんでした。7.7mmのような小口径弾であっても、当たればパイロットは負傷してしまい、当たり所が悪ければ死んでしまいます。この背面鋼板の設置は各国とも戦争が始まるやいなや、すぐに行っているのに対して日本海軍は大戦末期、44年まで設置を見送ったのは、日本陸軍ですら42年ごろに取り付けているのに対しても常軌を逸しているといわざるを得ませんね。」
「さて、そこでもしも、当時のバトルオブブリテンで、ドイツ側が日本海軍の零式艦上戦闘機を装備していたら、という
下らない仮想戦記ですが、結論から申しますと
ドイツ空軍は1940年に消滅していた
ということは間違いないでしょう。」
「嘘よ!何いってんのッ!類稀なる格闘性能と航続距離の長さでドイツに勝利をもたらしていたはず!」
「そんなことは絶対にありえません。
まず第一には今話した防御装甲の問題のせいで、出撃回数が過大で、パイロットに多大な負担を強いられる
ドイツ空軍のパイロットは次々と死亡してしまい、人的資源は早期に底をつきます。」
「軍用機たる戦闘機の防弾装甲は極めて重要な装備の一つです。
過酷なヨーロッパ戦線では防弾のない戦闘機は軍用機ですらないのですよ。」
「また、パイロットの確保そのものにも問題があります。ゼロ戦は低速低高度の格闘戦でしか敵と戦うことができません。
ゼロ戦はその機体強度の不味さから、急降下機動ができないと以前言いましたよね?
問題はパイロットの養成なのです。」
「格闘戦ができるパイロットというのを養成するには、最短でも2〜3年もの期間を飛行訓練に当てなければならないのです。対するバトルオブブリテン時のイギリス空軍のパイロットたちは基礎訓練の後、3〜6ヶ月間の訓練中隊での飛行のあとは、すぐに実戦投入が可能でした。」
「ゼロ戦に搭載されている無線機が使い物にならないということも大きすぎる問題です。末期は多少改善されたようですが、日本の低い工業技術力で作られた無線機は、基本的に雑音だらけで実用に耐えるものではありませんでした。坂井三郎などの日本のパイロットは、使い物にならないゼロ戦の無線機用のアンテナの支柱をノコギリで切り落としたなんていう冗談みたいな話もあるのです。」
「・・・・・別に無線機など必要ないでしょ。パイロット間のコミュニケーションであれば、ハンドサインで事足りる。」
ハンドサインって・・・・そんな原始的な方法で近代的な編隊空戦ができるわけが・・・・」
「いいや!やればできる!日本のパイロットは以心伝心、阿吽の呼吸で乗り切った!
やろうと思えばどんなに高度な意思の疎通でも図れる。
「・・・・じゃあ、たとえば自機と逆の方角を向いているパイロットに向かって、『危険だ、アドラー7!敵機に追尾されている。左に急旋回して離脱せよ!』とかハンドサインでどうやって伝えるのですか?」
「しょ・・・しょれは・・・・・」
「これでは奇襲を受けても、僚機は気が付きもしないまま火達磨になってしまいます。
高性能な無線機は近代的な編隊空戦術にはなくてはならない必須の装備ですから、ゼロ戦をそのまま使ったりしたら
ドイツ空軍がイギリス上空でRAFに優位に立てる要素はなくなってしまうのではないでしょうか。」
「ベ・・・ベテランパイロットに単機で格闘戦をさせなきゃ零の真価は・・・・・」
「ドイツ空軍のパイロットはたとえベテランであっても、格闘戦なんて前近代的な戦い方は多分できない人が大多数でしょう。急降下すると空中分解するゼロ戦を与えられても、有効な戦法も確立できないまま、かわいそうにそれこそ敵戦闘機のカモと化してドーバー海峡の海の藻屑になっていたでしょうね。」
「べ・・・別に格闘戦が得意なドイツ空軍パイロットだっていたじゃないの!
撃墜王のマルセイユは格闘戦を好んだことは有名。」
「それは極少数の例外ではないでしょうか。
アフリカの星ことマルセイユは不良さんですからね。彼は組織に反発して自己流の空戦法で戦った人です。」






ハンス・ヨアヒム・マルセイユ大尉 総撃墜数158機(西部戦線のみ) 




「まあとにかく、エスコートすべき爆撃機の目の前で次々と火達磨になるゼロ戦のせいで、爆撃機は史実以上の敵戦闘機による一方的な攻撃に晒されるでしょう。一方でパイロットの数も次々と減少していきますが、短期間では補充するすべもありません。
結果、早期に作戦が継続可能な最低機数を下回り、パイロットの大量犠牲とともに作戦は頓挫していたことでしょう。
そのまま無理やり続ければドイツ空軍は壊滅したでしょうね。」
「そう考えて見ますと、ドイツ空軍内でゼロ戦はすぐにでも練習機に回されることにならないとするならば、
オリジナルのゼロ戦を実戦でも使用可能なだけの改造が行われる羽目になるのは当然の成り行きだとおもいます。」
「まず手始めに防弾装備からでしょうね。翼内タンクはまず間違えなく取り外されて、胴体内タンクも位置が改められ、防漏処理が施されて容量が大幅に減少します。パイロット用の防弾鋼板防弾ガラスが取り付けられ、空中分解しないよう機体強度も軍用機にふさわしいだけ確保され、重量は大幅に増加します。ちゃんと通じる無線機が取り付けられ、航空機銃もドイツ製に取り替えられるかもしれません。」
「時間があれば空力的リファインと急降下性能の改善のために、エンジンを液冷のダイムラーベンツにすることも望ましいでしょう。―――もうこれはゼロ戦とは呼べる代物ではありませんね―――結果、構造が強化され実戦向きとなったゼロ戦は重量増加と燃費の悪化によって、その特徴であった航続距離の長さは失われ、ロンドンでの滞空時間は30分程度、何の変哲もない凡作機としてバトルオブブリテンは史実以下のドイツ空軍の敗北に終わっていたでしょうね。」
「ちょっとまってよ〜
重量増加や燃料タンクの容量減少だけでそれほどまでに航続距離が減ったりしないわよ。
他の零戦の優れた低燃費技術をわすれてもらっちゃこまるのよ」
「その優れた低燃費技術というのは何のことでしょうか?
ただ単に何も考えず装甲を引っぺがし燃料をたくさん積む
ことじゃないんですか?」
「・・・・栄エンジンの低燃費性よ!
零戦の燃料搭載量とメッサーシュミットやスピットファイアのそれを比べてみるがいいわ。
いくら燃料搭載量が異なるといっても、零戦はメッサーやスピットの3倍も4倍も燃料を積んでるわけではないのにかかわらず、5、6倍も長く飛べる!これはひとえに日本の低燃費エンジンの製造技術のおかげに違いない。
「それは単にゼロ戦のエンジン出力の低さ低巡航速度が理由じゃないでしょうか」
「そ・・・そんな単純な問題じゃ・・・」
「言うまでもないことですが、戦闘機というのは滞空している間中、最高速度で飛行するわけではありません。大体が目的地につくまでの間、もしくは敵機に遭遇するまでの間は巡航速度で飛行するんですね。そうでないと大量の燃料を消費してしまうからです。車にたとえると、すごい速度で全力疾走するよりも、とろとろと低速度で走ったほうがより多くの距離を走れますよね。いうなれば巡航速度は低いほうが自ずと燃費は良くなるのです。
同時代の日本機とヨーロッパ機の巡航速度は、大体100km/hくらい違うんですよ。」
「ガダルカナルなどに長距離侵攻したときのゼロ戦の巡航速度は時速200km台という超低速度です。一方で特にヨーロッパの空は上がればすぐにでも敵機に遭遇するため、巡航速度も有る程度高くなければ圧倒的に不利になってしまうので、一様に高く設定されていました。もしゼロ戦でヨーロッパの空を飛んで不意に敵機に遭遇したら、その時点で時速100km以上の速度差ではいかんともしがたいでしょ?」
「結局のところ、ゼロ戦をバトルオブブリテンなどに参加させてみたところで、さまざまな要素からその長い航続距離を生かすことはできなかったことでしょう。史実でルフトバッフェがイギリス空軍をつぶせなかった最大の要因は、航続距離なども含めた機体の問題というよりもむしろ、上層部の作戦指揮能力にあったのではないでしょうか?」
「なにせBf109はイギリスの戦闘機を圧倒し、イギリス空軍は作戦期間中に一度壊滅寸前にまで追い詰められています。にもかかわらず、愚かなヒトラーは些細な行き違いから、攻撃を航空施設からロンドン爆撃にシフトさせてしまったために、再びイギリスは空軍力を再建するだけの時間的猶予を与えられ、その結果ドイツは作戦を継続することができなくなりました。」
「メッサーシュミットBf109の航続距離の短さについてですが、この頃はそれほど問題となる声も上がってはいなかったのです。
バトルオブブリテンの当初の作戦目標にはロンドンまでは含まれていませんでした。
ドーバー海峡の幅は大体30〜40kmにしか過ぎず、たとえ海峡上空で燃料が尽きたとしても、滑空するだけでも飛行場に帰り着くことができるほどの距離でした。」






ドーバー海峡を横断するBf109E





「単発戦闘機の航続距離を手っ取り早く伸ばすには、落下増槽と呼ばれる、使い捨て方式の外部タンクを機体に取り付けるというアイディアがあります。ドイツ空軍はスペイン内乱のころにして応急的な増槽をHe112などに取り付けて運用していたにもかかわらず、バトルオブブリテンでは末期までBf109に装備することをしませんでした。もともとドイツ空軍の役割というのは、陸軍の電撃戦構想に基づいた戦術空軍ですから、一ヶ月でイギリス空軍を殲滅してみせる、などといきまいた空軍元帥のゲーリングの言が大本の間違いだったのかもしれませんね・・・・・」
「ところで戦闘機の航続距離戦闘能力。この2つは相反する要素であるようにも一見見受けられますが、戦闘能力を追求するというコンセプトのBf109を設計したヴィリー・メッサーシュミット博士に関してこんな話が一つあります。」





ヴィリー・メッサーシュミット博士



「Bf109はその登場から10年近くもの間、不断に改良され続け、エンジン出力が強化されて常に速度性能がアップしていきましたが、一方で航続距離は当初からさして増加していないことがドイツの空軍技術局長の不満のタネでした。Bf109Gの航続距離は増槽付きで約1000km程度です。」
「そこで彼はメッサーシュミットに次のようなことを言いました。『Bf109Gは速度性能こそ要求を満たしているが、ドイツ空軍はこの速度にさらに大きい航続力と、強い上昇力をプラスした戦闘機を必要としている』と。すると博士はこの言葉に腹を立て、
『あなたの望むものは、速い戦闘機なのか、それともただの納屋の戸なのか』と怒鳴ったといいます。」
「Bf109は可能な限りコンパクトに切り詰めた機体に、高出力なエンジンを搭載するというコンセプトの元に設計されていました。
いくら航続距離が長い戦闘機であっても、防弾もなし機体強度も最低速度も遅いとあっては、ひらひらと宙に舞うだけの納屋の戸にしか過ぎないというわけです。」
「とどのつまり、このとき彼の主張した空飛ぶ納屋の戸とは、
正に日本の零式艦上戦闘機みたいなへっぽこ戦闘機のことだったんですね。」
「へ・・・・へっぽ・・・・
「零戦は単なる納屋の戸ではないわ!
そもそもドイツが長距離単座戦闘機を運用思想の問題で作らなかったというのが大きな間違い!」
「零戦はさまざまな要素からナンバーワンの戦闘機ではなかったかもしれない・・・・・
しかしオンリーワンだったことは確実。
結局のところドイツに長躯3000kmを飛行できる単座戦闘機が存在しましたか?」
「・・・・・・」
「なんだかんだへ理屈をこねてみても、ドイツには長距離単座戦闘機は存在しなかった。
このメッサーシュミットの話のように軍はその必要性を認識していたのにもかかわらずよ。これは何を意味するか?
作らなかったのではない。作れなかった。
これが事実。一部のドイツオタクの言い訳に翻弄されるのはもうたくさん!」
「なぜ存在しないと言い切れるのでしょうか・・・・」
「フヒッ
だってそうでしょう。Bf109の航続距離は700kmかそこら。それ以上の航続距離のタイプなんて存在しないもの。
一方栄光の零戦は3000km。これがすべてなのよ。
繰り返しましょう。作らなかったのではなく、作れなかっただけ。
「いいえ。日本機マニアの間では航続距離というただ一点だけに関してささやかな優越感(?)を与えてくれるドイツの主力機のBf109ですが、燃料を翼内にまで搭載した長距離型がちゃんと存在します。それが高高度戦闘機型であるBf109H-1です。」
「Bf109H-1は翼内燃料タンクの増設と主翼の延長などによって、増層を付けないだけでも、その航続距離は1700kmにもおよび、さらに300リットル増槽を両翼にそれぞれ一つずつ取り付けられたといいますから、正確な距離はよく分かりませんが、搭載燃料の割合から言って、少なくとも2500kmは飛行できたはずで、一般的にアシが短かったBf109シリーズの中でも異例の大航続性能を誇ったといいます。」
「どうでしょうか?2500kmの距離を飛翔するBf109。
Bf109H-1の最高速度は、高度9000mで687km/h、巡航速度は470km/hと高速ながら、ちゃんと防弾装置などもついています。
長距離機の中でも、ゼロ戦などとは偉い違いです。」
ウソよッ
バッタ戦闘機のメッサーシュミットにがそんな飛べるわけない!
そんなタイプはドイツを崇拝してる連中の捏造に違いない!」
「捏造などではないですよ。H-1の生産と実戦配備は43年暮れからで、44年にはイギリス本土の高高度偵察の任務に使用されていたということです。急降下テスト中、時速800kmを越えた際に、フラッターで左翼がもげる事故が起き、またTa152ほどは高性能を示さなかったため、それ以上の改善や生産はされませんでしたが。」
「またドイツの補助戦闘機であるFw190にも、翼内にまで燃料を搭載したTa152は、1500kmぐらいは余裕で飛行できました。
イギリスのスピットファイアもそうです。型によっては増槽をつければ2000kmは飛行可能なものがあります。」
「戦後、戦闘機はジェット化し、速度、武装、機動性などの基本性能は飛躍的に進歩しましたが、一方で航続距離はほとんど向上してはいないのです。これはつまり、戦闘機の航続距離というものは、想定される戦場での要求に応じて決定されるものであるということで、パリ-ロンドン間でも300kmにしか過ぎないヨーロッパを戦場とする場合、初期の頃であれば無駄に長い航続距離は必要なかったということでしょう。」
「アメリカの艦載機のF4Fには主翼折りたたみ機構を廃し、武装や防弾装甲まで取り外して翼内に燃料を詰めた長距離写真偵察機型が存在するのですが、その膨大な燃料搭載量から生み出される航続距離は7,310kmにも達しました。」





グラマンF4F-7




「やたらと長い航続距離が大好きな日本機オタクの皆様方に崇拝されてしかるべきこの機体ですが、一体こんなもの何に使うというのでしょうね?いくら果てしなく長く飛べるといったって、実用的ではないのは誰に目にも明らかで、航続距離はただ長ければいいというものでもないということの好例であるような気がします。」
「フガ・・・・」
「結局のところ、航続距離と他の性能はソリースの配分の問題であって、たとえば日本の技術に何か特別優れていた点があったから、
ゼロ戦のアシが長かった、ということはありえないようです。」
「ところでさっきの、メッサーシュミット博士と空軍当局者のひと悶着の話には続きがあります。それから2年後のことで、たまたまこの技術局長と博士の二人は、ドイツ南部のアウグスブルクでアメリカ軍のP-47サンダーボルト戦闘機の空襲を受けて、防空壕に駆け込むハメになりました。そこで技術局長は敵地深くまで侵入してきたP-47をさしてメッサーシュミットに、
『ほら、そこにきみの言った納屋の戸が飛んでいるぞ』
とやり返したといいます。」
「長距離機に関する真に誇るべき技術力を持っていたのは日本などではなく、アメリカだったようですね。
アメリカの中期以降の戦闘機は優れた速度性能や防御力を有していながら、きちんと防弾処理のされた翼内タンクを持ち、航続性能もとても優れたものでした。」
「ここで出てきたP-47Dは、プラット&ホイットニー社製2,430馬力のエンジンを搭載しており、堅牢な防御力を備え、最高速度は時速697km、8丁のブローニング機銃と大量の弾薬を搭載し、巡航速度は零戦の最高速度に匹敵する時速563kmと高速ながら、最大3,060kmもの航続距離がありました。」






リパブリックP-47サンダーボルト(総生産機数15660機)





「また他のアメリカ機のなかでも双発単座戦闘機ですが、山本五十六機を撃墜したP-38は、最高速度が時速666kmで、航続距離は最大4200km近くもあります。余談ですが、「星の王子様」で有名な作家サン=テグジュペリも地中海で消息を絶ったときの乗機も本機の偵察機型です。」






ロッキードP-38ライトニング(生産機数1万機)





「でもなんといっても、アメリカの長距離戦闘機として決定的な存在であるのはP-51Dを置いて他はないでしょう。第二次大戦で量産されたレシプロ戦闘機の中で最優秀といわれるP-51Dムスタングは、1700馬力のイギリスのマーリンエンジンを搭載しており、最高速度は時速703km/h、巡航速度は400〜500km/h程度ながら、増槽をつけた場合の最大航続距離は3500kmもありました。」






ノースアメリカンP-51Dムスタング(総生産機数15600機)





「P-51Dは非常に優速な戦闘機で、ドイツのBf109Gなどでは緊急ブーストをふかさない限りは追いつくことすらできないほどでした。
いわんや日本機など、これは高空性能の違いもあるのでしょうが、ゼロ戦では増槽を付けたまま巡航速度で飛行するP-51Dにすら追いつけなかったといいます。」
「おまけにP-51は生産性も非常に優れており、P-47サンダーボルトの三分の二程度のコストで生産できます。
量産性を全く考慮していないゼロ戦などとはこれまたえらい違いですよね。」
「日本の零式艦上戦闘機は、大戦初期の部類では比較的航続距離が長かったですが、それが日本の技術的先進性とは何らの関係もないということは今見てきた通りです。ところでゼロ戦21型の3500kmという航続距離も、はなはだろくなものではないといわざるをえないのではないかと私には思えるのです。」
「長いことはいいことよっ!貴方様はそんなことにまでケチつける気なの?!」
「だってそうでしょう。戦闘機の重要なリソースほぼすべてを航続距離というただ一点に注いだことを抜きにしても、
ゼロ戦の滞空時間は飛び方によっては8時間にも及ぶのですよ。
操縦するのは機械ではなく人間であること忘れてませんか?」
「それがどうしたのよ!零戦のパイロットたちはそんなヤワじゃない!
それにガダルカナル攻防戦などは、ひとえにこの航続距離が多かったおかげで成り立ったのよ!」
「ですからそういった無茶な作戦は、ゼロ戦の無駄に長い航続距離によって立案されたというわけでしょう。」
ガダルカナル航空戦は、1942年にガダルカナル島の上空で、日米の戦闘機が同島の制空権をめぐった戦いであるわけですが、このとき日本側の最も近い飛行場というのが、島から1000kmも離れたニューギニアのラバウルだったのです。」






ガダルカナル島





「普通ならこんな遠くにある飛行場から出かけていって、空戦して帰ってくるなんて無茶なことやろうとはしません。米軍もガダルカナル上空に現れる戦闘機はすべて空母から飛び立ってきたものだと信じていたぐらいですから。しかし、航続距離という数字が許せば多少無茶であろうとお得意の精神力とやらでやってしまおうとするのが日本上層部の中の人たちであったのです。」
「たしかに日本人の精神力なら不可能なことではない。
「当時の日本人は生理的限界とは無縁な人間以外の生物だったのでしょうか・・・・
往復2000kmという長大な距離をスロットルワークを気にしながらの計器飛行を行い、さらに空戦までしなければならない。
車にたとえてみてください。
東京から九州までの間をノンストップですっとばして全く負担にならない人などいると思いますか?」
「結果、この一連の航空戦で笹井中尉をはじめとしたベテランの大量死を招いてしまい、坂井三郎もドーントレスを戦闘機と見間違えた挙句重傷を負い入院、台南航空隊は実質的に壊滅してしまいました。」
「これは愚かな司令部が、カタログスペック上の航続距離の数字しか頭に無く、搭乗員の生理的限界を無視した長距離作戦を立案したことによる当然の結果だということでしょう。さらにゼロ戦の航続距離というのは、果てしなく低い巡航速度によって得られたものですから、ガダルカナル島上空で空戦をした場合はとたんに大量に燃料を消費してしまい、帰りの燃料を確保するには島での滞空時間がたったの15分に限られてしまいました。」
「そうです。これはバトルオブブリテンのロンドン上空でのBf109の滞空時間以下なのですよ。ルフトバッフェの結果をバカにするゼロ戦オタクの方たちは、一体どの口でそんな恥知らずなことが言えるんでしょうね。」
「日本の場合では、3000kmを飛べる長距離戦闘機は、ただ単に航続距離が長いというだけで、パイロットのことは何も考えていない人命軽視の殺人機にしか過ぎません。ゼロ戦とほぼ同時期に設計されたドイツのFw190にはコマンドゲレートという、ブースト圧やミクスチャーレバーなどのエンジン管制のほとんどを自動化する機械式のコンピュータが付いており、さらに長距離侵攻型のG型には自動操縦装置まで付いていて、パイロットの疲労は最小限に抑えられるように工夫する措置がとられていました。この長距離型のフォッケウルフの航続距離は一体何キロだと思います?」






Fw190G-3





「これが1000kmにしか過ぎないのです。
一方で3000km飛ぶゼロ戦には何がついていましたか?
「アメリカの長距離機P-51などにもコマンドゲレートほどではないですが、過給機やブースト圧などを自動化する装置くらいは搭載されていました。人力で3000kmも飛ぼうなんて馬鹿げてるとしかいいようがないですよね。それにP-51などに比べ、ゼロ戦は巡航速度が遅いものですから、なかなか目的地に着かない。
「何なんでしょうね。日本軍にとってパイロットは消耗品ですか?
結果、大戦中のゼロ戦の洋上損失の3割が、長距離飛行による疲労のせいで、
集中力や判断力が低下し航法を間違えての墜落だったといいます。もう目も当てられない。」
「仕方がなかったのよ!
太平洋戦線は基本的に島嶼戦と海上での戦いよ?だから長大な航続距離は欠かせなかった。
コマンドゲレーテ?そんなもん戦前の日本の工業力で作れるわけないでしょ!」
そうよ!日本機はたとえ撃墜されて、落下傘降下しても下は。陸上戦が主体のヨーロッパ戦線では、そのまま本隊に歩いて帰ればすむことですが、日本のパイロットはサメの餌。零戦の防弾装備の不備にしたって、落ちればどうせ死んでしまうんだから、全部航続距離にまわして正解だった!」
「パイロットの死亡原因の第一位は機上火災だそうですが・・・・そりゃ不時着する前に死んでしまえば救出する必要もないですけどね。それに墜落したら助からない可能性が高いのなら、なおさら防弾装備などの生存性を高める装備が重要になるのではないでしょうか。」
「なお、海上にパイロットが落下傘降下しても必ず死ぬわけではありません。救助体制が整ってあるかどうかで随分と違いますよ。米軍は潜水艦や飛行艇を駆使して海上に不時着した航空機のパイロットの救助を積極的に行ない、B-29の乗員の分も合わせれば50%もの割合で救助に成功できたといいます。」
「その一方で日本側は始終消極的で、パイロットは落下傘すら装着しないことも多く、大部分が墜落とともに海の中で死んでしまいました。これはもちろん国力の問題もあったわけですが、人的資源が豊富な国がパイロットの救助に力を入れ、逆に貧困な国が使い捨てにしていたというのは皮肉な話ですね。」
「嗚呼・・・それにしても海軍の空の勇士たちはよくこの過酷な任務に耐えたものだと思いませんか?
帝国の若き航空兵たちの精神力や体力、忠誠心には本当に頭の下がる思いです。
アジア解放の聖戦の為に戦った英霊には畏怖の念すら覚える。
今の日本に帝国主義になれとは言わないが、せめてあの頃の精神を少しでもよみがえらせれば・・・・・ 大日本帝國崩壊とともに魂を失った日本人の転機がまさに今訪れているのではないか?
「・・・・なんてこと言うんでしょうか。それってどんなに酷い殺人ミッションにも文句も言わず、もしくは言えずに、抑圧された体制には従順するしかできない精神が貧困な国民になれということですか?
今、現在進行形でそんな国家がありますが・・・




   






「移住してみてはどうでしょうか?誰も引き止めませんよ。」
「戦前の日本人とそんな連中を一緒にしないでよ!零戦のパイロットは素直に凄かった!それだけのことなのに!」
「あなたはゼロ戦パイロットに憧れをいだいているのでしょうか?」
「当然ですぞ!零戦といえば当時海軍の最新鋭戦闘機。
国民には詳細こそ知られてはおりませんでしたが、この栄光の銀翼のパイロットは必然的にエリートです。
大空に思いを馳せた少年の頃より彼らは憧れの的でありました。」
「無邪気なものですね。ゼロ戦の搭乗員なんてそんなにカッコイイものでもないですよ。」
「イイエッ!
そんなことはない!小生の幼少の頃よりの憧憬にケチをつけないで!」
「ゼロ戦の滞空時間は半日以上にも及ぶのです。そうするとパイロットのほうは相当グロッキーな状態になってしまうということはさっき述べましたが、またもう一つ生理的な問題が生じてくるのですが・・・・」
「ああ、お腹が空くわね。きっと。食事用のおにぎりを持参したことでしょうね。」
「そうじゃなくて・・・・アッチの問題ですよ」
「何よ?」
「・・・・トイレです。どうしたって行きたくなるでしょ?
なんせ半日もコクピットの中にすし詰め状態で、我慢できるものではなかったそうですが・・・・」
「ヤ・・・ヤァァァァアアアア!!
それ以上言わないで!」
「ゼロ戦パイロットはいつもコクピット内でそそうしていたということです。
ゼロ戦の非人道的な航続能力のもたらした当然の負担だということでしょうけど、全くもって不潔な話ですよね。」
「・・・・・アアアア・・・・」
「まあもっとも、高空で気圧の低い場合はそれほど不快には感じなかったというパイロットもいますが、
かわいそうなのは整備員です。
落下傘は通常、おしりの下にしいてあるものですから、この絹製の布は・・・・・・
もう語るに落ちたとでもいいましょうか・・・・」
「たとえばP-51のように外国機の中には零戦よりも航続距離の長い単座戦闘機も存在しますが、それらの場合はそもそも巡航速度がゼロ戦よりも遥かに速いですから、パイロットは食事の量を調節すれば何とかなったようです。」
「ところで画面の前で、顔を真っ赤にしながら本コンテンツを読んで下さっているゼロ戦ファンの皆様も、
ゼロ戦の無思慮な長い航続距離を誇らしげに思うのなら、その搭乗員は
カッコイイとは程遠い、悪臭を放つ不潔な人たち
だったことを忘れないでくださいね♥」
もう沢山よ!
零戦は確かに欧米機に比べれば全般的に性能が劣っていたかもしれない。
その長大な航続距離も、多くのものを犠牲にすることで得たのは事実でしょうよ・・・・・・・
しかし一つ重大なことを忘れている。
「日本で生まれた零には、日本の技術のみならず日本固有の様々な要素が組み込まれていました。
戦いの哲学、そこには民族の性格そのものが結集される。
重要な事は日本軍は日本の兵器で戦いを挑んだ事。
もし仮に日本軍の手元に外国製の、例えばP-51を上回る性能の機体が有ったとして、それで日本軍はアメリカに勝てたでしょうか?
私はそうは思わない。もっと完膚なきまでに敗北したであろうと思います。」
「そりゃP-51があったらパイロットの消耗も最小限に抑えられて、敗戦の時期が延びたかもしれませんけど。」
「違うの!そういう意味じゃない!」
日本は有色人種として始めて世界と戦える機体を生み出した。
敗れたりとはいえ、縦横無尽に太平洋の空を駆け回り戦った。
借り物ではない、日本の誇りを武器に。
この気概こそがアジアで唯一大をなしえた根源ではないか。 中国、朝鮮はどうか? 今日世界に冠たる大国である日本。
世界最貧国から50年でのし上がった。二度と敗北の辛酸を舐めることの無いよう、文字通り死力を賭した。
その精神の中に零は生きている。」
「ゼロ戦の一体全体どこに独自の技術が用いられているというのでしょうか・・・・?」
「何てこというの?!零戦は隅から隅まで日本独自の技術で作られてるじゃないのよ!」
・・・・・
「日本の航空技術は優れていた。そうであるからアメリカは、日本の航空技術をパクった上に、戦後はそれを恐れて日本の航空開発に圧力をかけたのだ。卑劣な奴らだ。 」
アメリカが日本の航空技術をパクったって・・・・・
一体どこからそんなとんでもない発想がでてくるのでしょうか・・・・
本当に何も知らないのですね。
これから私がそのアメリカもパクるほどのゼロ戦の先進的技術水準とやらを解説してあげましょう。」















零戦の航空機銃



「先ほどは隅から隅までなどといいましたが、実際のところは確かに零戦の99式20mm機関砲はスイス、エリコンFFのライセンス生産品ですな。
しかし!航空機銃などどこの国でもライセンス品を選択している例などいくらでもある。言うなれば普通のこと。
このエリコンFFは一時期、ドイツのメッサーシュミットにも装備されていた。」
「でも、97式7.7mm機銃も外国製のライセンス生産品ですよね。
これはイギリスのヴィッカース社のを国産品にしたものです。」
・・・・・
「ところでライセンス元のヴィッカースE自体は、第一次大戦中1917年に英空軍採用の骨董品でして、こんなものを後生大事に大戦末期まで使い続ける日本海軍の気が知れませんわね。」
「ゼロ戦に1944年から搭載された、3式13mm機銃はアメリカの傑作機銃ブローニングM2のコピー品です。
このように海軍だけによらず、日本の航空機銃のほとんどすべては、外国製品のコピー品か、ライセンス生産品で占められていました。エリコンFFなどのライセンス生産品はちゃんとした正規のものですが、大部分の模倣品はライセンス料など一円も払っていない、完全に他国製品をパクっただけのものだったようです。
開発能力を一切持たない国は惨めですね。」
「んなこと言ったって、当時の機関銃の開発なんてもんはそれこそ他国の優れた物のパクリ合いよ?
どこだってそうやって多くの技術をいわば共有しながら、よりすぐれたものを開発してるのに
日本だけ惨めになるなんておかしいじゃない!」
「確かに、たとえばスイスのエリコンFFなどは、第一次大戦のときのドイツのベッカー機銃を改良したもので、その後またドイツがそれをライセンス生産する・・・・というふうに各国同士で銃器の開発には繋がりがありますが、一方的にコピーだけしておいて、それ以上のものを作り出すことができず、もちろん基本メカニズムから独自に開発することなど一切できなかった日本の場合は明らかにそれらの国々とは別格の扱いでしょう。」
「日本の工業界の基礎技術力の低さを象徴する話として、ドイツのマウザー砲ことMG151/20という、口径20mmの機関砲を輸入したときの話があります。それまでの日本の劣化コピー航空機銃というのは、作動不良の頻発や威力不足、弾道の直進性などで酷く劣ったものしかなかったのですが、1943年のニューギニアで、ドイツから潜水艦で800丁も運ばれてきたマウザー砲を陸軍の戦闘機飛燕に搭載して運用したところ、すべてが電気操作で作動するこの故障知らずの機関砲は、ボタンを押すと「ジー」というモーター回転音を立てて滑らかに作動し、実戦でも双発爆撃機のB-25の主翼を一撃で吹き飛ばしたりしたため、日本の関係者の度肝を抜いたということがありました。」






MG151/20 20mm機関砲





「もちろん日本はこの優れた機関砲の国産化をしたいと考えますが、まずは試作をしてみようと技術者が見てみたところ、日本では量産どころか職人によるコピーすら不可能な技術で作られていることが判明します。」
「なにせ、MG151/20は銃本体がプレス加工という、一枚の鉄板を加工して形作るという高度な工作技術によってできており、電気式による同調装置も到底模倣不可能で、何より圧倒的だったのは、弾丸までプレス加工でできていたことあり、通常であれば弾丸の弾頭というのは金属の塊を削りだして形にするのですが、MG151/20の場合は一枚の薄い板を叩いたり曲げたりして弾丸の形に加工するわけですよ。こうすると削りだしの場合と比べて弾頭の炸薬量が大幅に増えて、威力が非常に大きくなる利点があります。まさに金属加工の芸術品ですので、日本では職人ですら作れなかったのです。」
「ちょ・・・ちょっとまって・・・・マウザー砲ってアメリカですら量産に失敗したっていう話じゃ・・・」
「確かにアメリカもマウザー砲と同系列のMG151のコピー品の量産に着手しますが、数千丁生産したにもかかわらず製造不良多発で、すべて廃棄するハメになったそうですけど、手も足も出なかった日本に比べればずいぶんとマシでしょう。
まあこんなものを普通の町工場でも生産できるドイツの金属加工技術が尋常ではなかったということもあったでしょうが、
とにかく日本には航空機銃に関する見るべき技術など一切存在していなかったことは事実だろうと思います。」















零戦のエンジン



「ゼロ戦のエンジンの名前は『栄』といいます。この栄エンジンの説明をする前に、ちょっと日本の航空用エンジンの開発史を振り返ってみましょう。1925年、日本の中島飛行機は、イギリスのブリストル社製の450馬力の『ジュピター』空冷エンジンのライセンス権を取得、1927年にブリストル社から生産指導技術者2名を迎えて、国内でエンジンの製造を開始しました。」





ブリストル社 ジュピター (イギリス)





「中島は1930年に、アメリカのプラット&ホイットニー社製の空冷エンジン『ワスプ』をこのエンジンに融合させ、これをジュピターの頭文字から『寿』エンジンと名づけ、これを国産第一号エンジンとし、海軍に制式採用されるようになります。」





プラット&ホイットニー社 ワスプ (アメリカ)





「この寿エンジンのノウハウを元に、アメリカのプラット&ホイットニー社のツイン・ワスプをコピーしたのがゼロ戦の940馬力の栄です。」





プラット&ホイットニー社 ツインワスプ (アメリカ)





「つまりゼロ戦のエンジンも含めて、日本の航空用エンジン全般はほとんど外国製の模倣品だったであったわけで、戦争が始まり外国からの技術の流入がなくなると、もうこれ以上の本質的な出力向上の改造ができなくなってしまい、各国とも大戦末期には2000馬力級のエンジンを搭載した戦闘機を開発しているのに対して、ゼロ戦は1130馬力にしか満たない大戦初期並の低出力エンジンで一方的に撃墜されるだけのカモになってしまったのでした。」
「中島は苦肉の策で、栄エンジンを無理やり18気筒化したりして、公称2000馬力級のエンジン『誉』を作り出しますが、1000馬力を超えた辺りからすでにカタログスペック通りの出力が出なくなるといった次第の日本の低い工業技術力では、不良品の続出、もしくはうまく作動したとしても、2000馬力などとは程遠い低出力しか出せない欠陥エンジンにしかなりませんでした。」
「別に日本以外でも他国のエンジンをコピーとかライセンス生産をしてた国があるでしょ?」
「確かに第二次大戦の時代、一からオリジナルのエンジンを設計、製造できる能力があった国は、ドイツ、アメリカ、イギリス、フランスの四カ国だけで、そのほかの航空機生産国はすべて、上記のいずれかの国のエンジンをライセンスしたり、コピーしたりしていたという事情があったため、日本のエンジンだけが他国の技術に依存していたということはありません。」
「しかし、問題は日本の主力機のエンジンが敵国のアメリカとイギリスのものに全面的に依存していたということでして、当然戦争が始まってしまえばそこで発展性が失われてしまいます。」
「おまけに中島の航空機関連施設には開戦の直前まで、プラット&ホイットニー社の技術者が滞在していたものですから、工場の位置や設備がアメリカ側にバレバレという情けないことにもなっています。」
「日本は同盟国ドイツのエンジンもライセンス生産しましたが、彼の国は液冷エンジンと呼ばれる、エンジンを空気で冷却する空冷エンジンとは違って、グリコールなどの液体で冷却する複雑な方式のエンジンが主流であったため、日本の手には余り、また工業技術力の低さとも相まって欠陥エンジンを大量産するハメになり、このエンジンを搭載した陸軍の飛燕戦闘機は、初めてのフェリー飛行にして27機中4機がエンジン故障によって墜落してしまうなど、とてもモノにできたとはいいがたい状況でした。」






ダイムラーベンツ DB601A (ドイツ)





「ドイツのDB600系統のエンジンは日本のほかにも、イタリアやスウェーデンで戦中ライセンス生産されていましたが、これらの国では日本の場合ほど製造にてこずったという話は余り聞きません。これはいかに日本の工業技術力が他国に比べて劣っていたかということが浮き彫りになる事例でしょうね。」



各国のDB600系統エンジン搭載機




川崎 三式戦飛燕(日本)



マッキ MC205Vベルトロ(イタリア)



サーブ 21(スウェーデン)




「なお、ゼロ戦のエンジンに用いられているボールベアリングの精度は、
現在の日本が作ったパチンコの玉以下だそうです。」













零戦の降着装置



「ゼロ戦の油圧式引き込み脚機構は、アメリカから参考輸入したヴォートV-143を真似て作られました。」





ヴォートV-143(アメリカ) 購入価格$64800






「・・・・・アナタがこれから言わんとしていることはわかってるわ。」
「はい?」
零戦はV-143のパクリだとか言うつもりでしょう!」
「零戦がV-143をパクったとかいう頓珍漢な意見は、零戦に叩きのめされたアメ公たちが悔し紛れに流布した妄言!降着装置を真似たぐらいで機体すべてを模倣したなんて言語同断!!言いがかりもいいとこよ!第一零戦とは全然似てないじゃない!!!」
「私まだ何も言ってませんけど・・・・」
「確かに、ゼロ戦の脚が輸入したアメリカのV-143を参考にしている点をあげつらって、これをフルコピーしたのがゼロ戦だ、などという人もアメリカを中心として存在しますけど、荒唐無稽な意見だといわざるを得ないでしょう。」
「・・・・・おお・・・・私はまたてっきり、
『零戦の機体はヴォートのフルコピーだと思われます。こんな機体で米軍機に勝った負けたとか言ってる零戦オタクははっきり言ってバカですよね〜』ぐらいのことはおっしゃるものとばかり・・・・・」
「・・・・・・・そんなこと言いませんよ。ゼロ戦は明らかにヴォートを模倣したものではありません。なぜならゼロ戦は・・・・・」














零戦の照準機



「ゼロ戦の98式射爆照準器は、1938年にドイツから輸入したHe112に搭載されていた、ReviC2のコピー品です。
このレヴィ照準機は、日本がコピーをした時点ですでにドイツでは旧式となっていたにもかかわらず、日本では大戦末期まで採用され続け、大戦初期に開発されたReviC22のコピー品である4式射爆照準器が零戦に搭載されたのは1944年のことでした。ジャイロ式の照準機は最後まで搭載されておりません。」
「なお、ゼロ戦が最初に装備していたのは、光像式ではなく鏡筒式と呼ばれる望遠鏡型の原始的な射撃用照準機でした。
余談ですが、日本は海軍艦艇の分野でも、その光学照準機はドイツのカール・ツァイス製の模倣品が大多数だったようです。」


Bf109のRevi照準機












零戦のプロペラ



「プロペラについてですが、これはアメリカのハミルトン・スタンダード社のもののライセンス生産品です。日本は戦時中でも、この半ば涸れかけた技術のプロペラに何らの改良も加えることがないまま、終戦まで使い続けました。戦後、ハミルトン社に戦時中に払わなかった分のライセンス料を日本が支払おうとしたところ、料金は1ドルでいいなどと冗談を返されてしまったという逸話さえあります。こんなもの後生大事に生産し続けていた日本の工業界には涙がちょちょぎれてしまいます。」












零戦の無線装置



「無線帰投装置は、無線の誘導電波を利用して自機の方向を確認したり、基地や空母に帰還するときに用いられる航法装置です。
日本ではこれも自主開発など不可能であったため、対日経済制裁発動前にアメリカから輸入したフェアチャイルド社のクルシー式RC-4をコピーしてゼロ戦などに搭載しました。ですからこれもかなりの年代モノだったわけですが、代替品を作れずに終戦まで使用され続けます。」
「ゼロ戦が搭載していた無線電話は、直接どこかの国の製品を模倣したとかいうことはちょっとわかりませんが、以前にも言った通りこれは大戦末期まで全く通じるものではない欠陥品で、戦後アメリカに教えてもらったところによると、この原因はただアースの取り方が間違っていたというだけのことだったそうです。」
「また日本は当時、電線のコードに、銅線に布を巻いて塗料を塗っただけという信じられないような粗悪品を用いていたともいいます。普通なら絶縁体にはビニールか何かを用いるものです。それがであったために漏電は酷いものであったことでしょう。」
「しかし、経済制裁前の日本の無線機は、戦中とは違って結構通じたという話も存在しますが、これはアメリカ製の高品質な真空管を用いていたからというわけがありまして、輸入が途絶えて国産のものに切り替えた途端にあのような欠陥品になってしまったということです。」









「今見てきました通り、ゼロ戦に用いられた戦前の日本の航空技術といったものはおよそ、純国産とは言いがたいような外国製品の物まね、ライセンス生産品の使用によって成り立っているというのが真実で、それでもライセンスしたものは正当な権利がありますが、そのほかは無断コピー、今の感覚で言うところのパチモンですよ。」
「これがブタさんの言う日本の誇りだというのなら、
あまりにも惨めで安っぽい誇りだという思いを禁じえないのは私だけでしょうか?
当時の日本に他国に誇りうる技術など何も存在しはしません。すべてが他国の焼き増し、模倣品ばかりだったのです。」
「無論、他国が日本の航空技術をパクったり、参考にしたりしたという事実はほとんどありません。
というか、どこからそんなとんでもない発想が出てくるのかが不思議なくらいですよ。
MMRの調査結果でしょうか?」
・・・・・・・
「・・・・・三国人は全員死んでいいよ
「なっなっ・・・突然何てこと言うんですか?」
「だってさーこれちょっと見てくださいよ〜」








日本T社製自動車


K国H社製自動車





日本N社製自動車


K国H社製自動車






・・・・・・
「フヒッどうですか?これが零戦にケチつけてる連中の現在の姿ですよ」
「ケチつけてるのは私ですが・・・・・」
「確かに零戦はその多くの構成部品を外国の技術に頼っていたかもしれない。
当時の日本は開国してからまだ日が浅かったがために、そうせざるを得なかったのも確かに事実でしょうよ。」
「でも機体設計そのものは日本独自だったという重要なことをお忘れではないですか?
これがどこぞのパクリ国家と日本との本質的な違い。連中と日本は日本海溝より深遠な違いだあんのよッ」














「そんなに似てるでしょうか・・・・・?」
「何いってんの?そっくりでしょ?!K国H自動車の関係者はパクリ具合を指摘されると、
「遠くから見れば同じように見えるかもしれないが、近くから見ると細部が違う」
などと苦し紛れの言い訳を言う始末!」
「何なんですか?コイツラは?
こんな日本の製品をパクるしか能のない連中が、自国では反日教育に精を出してんのよ?
日本がいなくなれば困るのは自分たちだってことが明らかだってのに!」
馬ッ鹿よね〜
自分たちを養ってくれている保護者を罵倒したりして何になるのって話!

犬でも恩を忘れないというけど、彼の国の連中は犬以下の地球最下等の生物だってことを自ら証明してんのよ!全く日本にとってはいい迷惑!」

「余りよその国を情緒に任せて罵倒しないほうがいいと思いますよ。
世の中にはもっとすごい実例もありますから。たとえば・・・・・」













「ア・・・アレ?零戦にイギリス空軍蛇の目が・・・・」
「これはゼロ戦の一年以上前、1937年に作られた、イギリス・グロスター社のF.5/34です。」
「エッ!?
「世間ではゼロ戦のパクリ元と目されている機体ですよ。」
「んなもんウソに決まってるでしょッ!!!
第一全然似てねーわよッ」
「そうでしょうか?そっくりだと思いますが・・・・?」
「と・・・・・・とととと遠くから見れば同じように見えるが、
近くから見ると細部が違う
「カラーリングが違うと随分と印象も違うものです。
また降着装置もゼロ戦はアメリカのヴォートV-143をコピーしたものだというのはさっきも言ったとおりです。」
「そこで、脚をアメリカのヴォート社のものにして、カラーを日本海軍のものにし、日の丸を塗ってみましょう!」
「塗らないでよッ!」










グロスターF.5/34日本海軍ヴァージョン








「ね。そっくりでしょ?」
「全然似てませんな。」
「・・・・・そうでしょうか。」
「そんなもん印象論にしかすぎない!両者はただ単に同じ空冷機なだけじゃない!
そりゃ見ようによってはF6Fだって零戦に見える!


「・・・・それは信仰のなせる業でしょうか・・・・・
写真
もあるのですが、見たいですか?」
「F.5/34の方の降着装置はまた、ヴォートのものに見えるよう、トリミングしてみました!」








  


グロスターF.5/34(脚だけ消した)

零戦(米軍鹵獲機)










もうイヤァアアアアア!!!
「ちなみにもとのF.5/34の写真はこれです。」




「アジア開放の象徴たる零戦は日本人が設計したオリジナルじゃなきゃならないの!
白人が考えたわけないじゃない!

印象論
だといったら印象論なの!!!」
「・・・・まあそうですよね。見た目なんて印象論に過ぎないかもしれません。
これだけでゼロ戦がグロスターの戦闘機を参考にした、なんてことは言い切れませんよね。」
「ところでゼロ戦の量産前のプロトタイプは十二試艦上戦闘機という名前だと以前お話しました。
十二試艦上戦闘機とF.5/34はほとんど同じ馬力のエンジンを搭載しているのですが、最高速度がほとんど一緒なのです。
最高速度に重量は余り関係ありませんから、つまり両者の空力的特性はほとんど同一だということです。」


エンジン 馬力 最高速度
十二試艦上戦闘機(1939年) 瑞星13型 875hp 509km/h
グロスターF.5/34(1937年) ブリストル・マーキュリーIX 840hp 508km/h




「ゼロ戦の開発当初、設計チームのエンジン選択には2つの選択肢がありました。一つは小型ですが低出力の瑞星エンジン、もう一つはそれより一回り大きい金星エンジンです。後の発展性のことを考えれば金星エンジンを選択するほうが望ましかったのですが、F.5/34のカウリングの大きさから言って、瑞星を使わなければ不安だったんでしょうね。」
「フ・・・フフフフヒッ
妄想が広がりますな」
「第一、似たような時代に似たような使用要求で作れば似たような性能になるに決まってる!
形が似ているのだってそのせいよ!」
「形が似ているというのは単なる印象論ではないです。ゼロ戦とF.5/34とは、寸法や翼面積もほとんど一緒なのですよ。いくら時期が近かったからといって、ここまで数値が近いというのは偶然にしてはありえないのではないでしょうか?」



翼面積 翼幅 全長
零戦21型 22.44u 12m 9.06m
グロスターF.5/34 21.36u 11.63m 9.76m





「さらにゼロ戦は運用思想を変更した後期の52型になると、もうほとんど数値が一致し」



翼面積 翼幅 全長 自重 翼面荷重
零戦52型甲 21.30u 11m 9.12m 1900kg 89kg/u
グロスターF.5/34 21.36u 11.63m 9.76m 1894kg 89kg/u




「これはもはや完全な同一機種と言って差し支えないのではないでしょうか?これほど寸法が一致していて、他機種であるなどということは、常識的に考えてありえません。たとえば同一機種のBf109のE型とF型、スピットファイアのV型とIX型の違いのほうが遥かに大きいですから。」
「何なんでしょうね。
堀越はゼロ戦を格闘戦機から一撃離脱機に変更した際に、その点で優れていたコピー元に先祖帰りでもさせたのでしょうか?」
「零戦は堀越が96式艦上戦闘機を発展させて作ったのッ!!
96式艦上戦闘機にして日本の設計技術は世界に追いついた。いや、凌駕した!
5年前の話でなし、いまさらイギリスの戦闘機を模倣する
必然性がない!!」
「ゼロ戦の一世代前の制式戦闘機に当たる96式艦上戦闘機は、1937年開発で原始的な固定脚機ですが、もうその頃にはとっくにBf109、スピットファイア、F.5/34などの近代的な低翼単葉引っ込み脚の戦闘機を各国とも開発しています。この戦闘機の設計技術が世界に凌駕したって、中国上空の複葉機に対してではないですか?」







96式艦上戦闘機






「もう一つ、ゼロ戦の開発には不自然な点があるんですよ。それはゼロ戦がありえないぐらいハイスピードで開発されているということです。当時基礎科学力の著しく低かった日本の兵器開発の歴史を紐解いてみると、他国の兵器や技術を模倣した場合とちがって、独自に開発した場合は極めて時間がかかるという特徴があるのです。事実、ゼロ戦の後継機開発は随分と長い時間をかけたにもかかわらず、すべて失敗に終わり、終戦までゼロ戦が第一線機として使い続けられています。」
「そこへ来るとゼロ戦の場合は、三菱が計画説明書を提出してから試作一号機がわずか11カ月という異例の速度で完成したのです。おまけにキ33の設計を片手間にやりながら・・・・。あまりに不自然すぎると思いませんか?
三菱はもうすでに出来上がった基礎設計を持っていたとしか考えられないのではないでしょうか。」
「そ・・・・・そそそその基礎設計が96式艦上戦闘機でしょ!」
「確かにゼロ戦の設計主任の堀越二郎は、外国の記者などにゼロ戦の設計とグロスターF5/34との類似点を尋ねられるたびに、日本の設計技術は96式艦戦にして世界に追いついて・・・・・などと言って話を適当にはぐらかし、実際グロスター機を参考にしたかどうかについてはいつも答えなかったといいますが・・・・・」

「ゼロ戦を作った三菱の航空機開発の歴史は、1921年にイギリス・ソッピース社のハーバート・スミスに設計してもらった10式艦上戦闘機が原点です。」


10式艦上戦闘機 イスパノスイザ300hpエンジン搭載

「ついでに言いますと、同時にソッピースからはパイロットも招聘して、日本初の空母である鳳翔に初めて当機を用いて着艦を成功させたのはジョルダン大尉です。」
「その後三菱は、1930年に英ブラックバーン社設計の八九艦攻を量産、ドイツ・ユンカース社のG38大型旅客機のライセンス権を購入し、九二式重爆撃機として数機の製造を試み、1931年にはフランスのベルニス技師を招いて九二式偵察機を製造します。」
「日本が自前で設計した航空機の試作計画を発表したのは1932年に入ってからでした。このころから堀越は三菱で製作に携わり、1934年に七試艦上戦闘機を設計しますが、これは完全な失敗作で、製作された機はすべて事故で墜落してしまいます。次に設計されたのが1937年の九試単座戦闘機です。このボーイング社のP-29にウリ二つな戦闘機は期待された性能を満たしたため、96式艦上戦闘機として海軍に制式採用されました。」
「つまり三菱がまともに飛ばせるだけの航空機を自分のところで設計できるようになってから、わずか2年でゼロ戦の開発にまでこぎつけたわけなのですよ。そんな人たちの基礎科学力や設計データに基づいて、短期間にそれほど世界水準と遜色ない空力的洗練の航空機を設計するのは果たして可能なのでしょうか?要求された仕様にしたがって、既存の航空機にチョットだけ手をつけるので精一杯だったのではないですか?」
チョット待って!ろくに実績がなかった?
そんなのP-51を設計したノースアメリカン社にも同様にいえることじゃないのよ!
「第二次大戦最優秀レシプロ機といわれるP-51を設計したノースアメリカン社は、ろくに戦闘機設計の実績がないのもかかわらず、わずか120日という短期間で試作機を完成させているのよ?
零戦を作った三菱だけが例外だったとはいえないじゃないの!このことをどう思うのよッ!」
「そうですね。確かにP-51の設計に関しても、一般にいろいろと言われていることがあります。
P-51を設計したエドガー・シュミードは、亡命ドイツ人で、ドイツのメッサーシュミット社で機体設計をしていた技師だったことがその話に拍車をかけました。ただ、ノースアメリカン社の場合は戦闘機の設計データをカーチス・ライト社に提供してもらったという事情もあったのですが、やはりP-51はドイツのメッサーシュミットBf109などの基礎設計を参考にした、などという話を信じている人も根強くいるようです。」






ノースアメリカンP-51


メッサーシュミットBf-109V1





「日本の某有名な設計技師も、P-51の設計に関して次のようなコメントを出しています。」






 本機(P-51)の形態や構造をみると、とうてい120日やそこらでできあがった機体とは思われない。液冷発動機にぴったり合わせた流線型の非常に美しいライン、舵面の振り合い、細部まで行き届いた空力設計、軽量で量産向きの構造―――これらはノースアメリカン社か、シュミード技師かが、すでに腹案というよりも、できあがった基礎設計をもっていたものと考えられる。
 これにイギリスの設計要求で若干の修正をおこない、昼夜兼業で試作用の図面を画き、部品はいきなり原図を画いて、図面ができるそばから製作していったものであろうと想像する。

堀越二郎






「あ・・・あれ?堀越二郎って・・・・」
「そうです。これは零戦を設計した堀越主任の文章です。翻って、自分の場合はどうなんだ?という問いを彼に投げかけたいものです。6ヶ月で試験飛行までこぎつけたP-51と同様に、15ヶ月で試験飛行を開始した、お話にならないほどの技術小国だった日本の某戦闘機にも出来上がった基礎設計があったのではないでしょうか?そしてそれは果たして日本で生まれたものなのでしょうか?」
・・・・・・・・
「しかし、もし三菱がこのイギリスの制式採用落ち戦闘機の機体をパクったのなら、一体どうやって設計図、もしくは詳細情報を手に入れたのかという疑問が残ると言うのも事実です。」
「ただ一つ、はっきりしていることは、ゼロ戦の機体設計は他国のそれに比べて、
突出して優れていた、またはユニークだったといったことは絶対にありえなく、
「第二次大戦のころの日本の航空機設計技術には
見るだけのものは一切存在しなかったということは間違いありません。」
「ゼロ戦とほとんど同じ形態を持ったF.5/34を開発したイギリスのグロスター社は、この設計に大した努力もかけずに製作しています。ゼロ戦の機体設計の水準は極めて凡俗なものだったのです。」
「そして、F.5/34はハリケーンやスピットファイアとの競作に破れ、英空軍の制式採用から脱落しました。
こんな惨めな機体の両翼に国家の命運を託さざるを得なかった当時の日本の限界が知れるというものでしょう。」
「ところで、なぜいろいろと為になることを教えてくれたり、自国がその国の製品をパクってやまない国を
鬼畜米英などといって卑しめたりする恩知らずな国があるものでしょうね。どう思います?ブタオさん。」
「ハヒッ」
「まあ結局のところ、古今東西三等国家の屈折した感情なんてみんな一緒だということですね。」
「さ・・・・ささささ三等国家?!
「そうです。大日本帝国は三等国家の発展途上国でした。 」
「当時の日本は欧米、特にアメリカ無しではやっていけない国でした。言い換えれば戦前の日本はアメリカに生かされている状態といっても過言ではなかったのです。物資のみならず、科学技術にいたるまで、あらゆる分野で全面的に依存していたのにかかわらず、その事実を黙殺して国際社会を敵に回し、挙句の果てが経済制裁を受け、その後の真珠湾攻撃です。」
「せ・・・・・・・せせせ石油の供給だけでアメリカに首根っこ掴まれてるかの言い方は余りにもおかしい!
たとえば現在の日本は中東各国に石油を依存しているが、当時の日本もそれらの国々から石油を得ていたとしても、そんな国々に言われて中国から撤兵するいわれはなにもないでしょ?!」
「石油?石油なんてちっぽけな問題ですよ。」
「ゼロ戦を例にとってみましょう。主にアメリカとイギリスの技術によって作られたゼロ戦は、アメリカの工作機械を用いてアメリカの鉄屑イギリス経済圏のボーキサイト、希少金属を原料とし、アメリカの潤滑油、航空用ガソリンで稼動させいたというのが実情です。どれかが抜けても、零戦の運用はうまくはいきません。
「たとえば、戦前の日本では高級工作機械が自前では生産できませんでしたから、開戦前に輸入した外国製の工作機械が消耗していくとともに、クランクシャフトなどの多くの部品は工作精度や耐久性が低下の一途をたどり、ついにはまともに動くエンジンが作れなくなります。」
「ゼロ戦を構成する要素で、日本オリジナルみなしてよいものは
労働者とパイロットだけなのですよ。
他はすべて他国のおかげでかろうじてまかなうことができたのです。」
「この意味がわかるでしょうか?つまり、アメリカと日本は今ほど対等な立場ではなかったのです。
こういった現象は兵器に限らず、日本の工業生産全般に言えることでした。
当時の日本が海外に依存していたのは石油だけではありません。産業の全分野にわたる依存だったのです。」
「じゃあ何なの?何なのよ!戦後技術大国としてのし上がった日本の原動力は?
これはひとえに戦前の・・・・零戦の遺産があったからじゃないの?」
「全くなかった、とは言いませんが、戦後日本の技術的進歩の直接的な原動力となったのは、やはり朝鮮戦争の存在が大きかったのではないでしょうか。工業規格すら存在しなかった、養蚕や紡績などで外貨を得ていたころの日本と、戦後日本とは工業技術に関してあなたが考えているほどの連続性はないと思います。戦後日本は、あらゆる分野にわたって、外国の技術を戦前以上に取り入れた上、いわゆる朝鮮特需は、普通ならば絶対に売れないような日本製のおんぼろトラックをアメリカに大量に買ってもらい、また品質向上のための多くの技術を教えてもらうこともできました。ただノウハウや教育に関しては、悲惨な状況で欠陥品相手に試行錯誤を繰り返していただけのことはあって、無駄ではなかったでしょうが。」
「貿易関係においても同様です。当時の日本の最大の貿易相手国はアメリカとイギリスで、両国だけで日本の海外貿易総額の半分を占めます。当時の日本はアメリカに生糸を買ってもらい、その得たお金で綿花や工作機械を輸入し、これを加工してイギリスなどに輸出することで生計を立てていた国です。」
「この貿易関係の構図は一方的なものであり、日本がそれらの国から輸入する工作機械や石油、機械類、綿花などは日本にとっての死活的な重要品目であったのにたいして、アメリカにとっての生糸はたとえ輸入が止まったとしても、さしたる問題も生じない些細な品目でした。であるからこそ、日本が中国市場を荒らしまわり、撤退する意思も見せなかった際に、アメリカは日本との貿易を取りやめる判断をあっさりと下すことができたのです。」
「また、ハルノートが日本の誇りを傷つけたと言って、これを必要以上に非難する人たちがいます。
日本に果たして傷つけられるほどの誇りなんてあったのですか?
あったととしても、それもアメリカ製なのでしょうか。」
「日本が中国を荒らしまわるのは日本の勝手であるが、日本への原料や工作機械の輸入を止めるのは反則行為だと主張があります。国際社会のルールを無視し、自国のことしか考えないで他国の市場までも荒らそうとする国家に、自国の石油や援助を与えるかどうかなんてそれこそアメリカの勝手だというのに。」
「あまつさえ、国際社会に台頭してきた日本が目障りになってきた同国は、日本をつぶそうと画策したなどという陰謀論を主張する人たちまで現れる始末です。日本をつぶしたかった?
そんなのやろうと思えば、アキレス腱をすべて握っていたわけですから
いつでも赤子の手をひねるごとく簡単にできたのですよ。」
「思うに日本は反抗期だったのではないかと思うくらいです。
万能感だけが強く、自分の実力や真実の姿を一切理解しておらずに、ただ大人の言うことに反発したかっただけのようです。」
「マッカーサーはこのような日本人の稚拙さや幼児性を評してこのようにいいました。
『日本人の精神年齢は12歳である』と。
まさに反抗期真っ盛りの子供であるというわけです。」
「しかし、まさかさしものアメリカも、すこし自分の立場を日本にわきまえさせようとしたら、突然キレて、後援者である自分を
背後から金属バットで殴りつけるとは予想してはいなかったようですね。」




「少年の心の闇は随分と深いものだったようです。」
「あまつさえ、苦し紛れにこれは聖戦だなどと嘯く始末ですよ。自分のことは棚に上げて、社会が悪いというわけです。挙句、若さに酔い、自己陶酔の果てにやらかしたのは特攻と称する体を張った体当たりです。
しかしその改造バイクは保護者の援助で作ったものでした。」












「それが、60年の歳月がたってみると、彼らはアジア解放のために立ち上がった栄光の軍隊だとかいう人たちが現れるのですよ?
歴史の流れって面白いですわね(笑)」
「まあ、まだかつての日本の愚かな行いに対してささいな慰め(?)になるのが、いま現在においてもリアルで似たようなことを行ってる一部の国々が存在するということでしょうか。」




  








「自分たちが憎んでいるアメリカや日本との付き合いが、ある日突然なくなったらどうなるのでしょう?
自国を援助してくれる国とはもっと友好的な関係を築いてもらいたいものです。
あまつさえミサイルで脅したりとか・・・・」
「彼らにももう少し、日本の正しい歴史を学んでもらって、反面教師とすべきでしょう。
自分たちも日本みたいな道をたどりたくなければ。















キャァァアアアアアアアアアアアアアッ!!!
ウソよおおおおッ!!
「いままで戦前の日本に抱いていた都合のよい美しいイメージがすべて崩れ去ってしまったのですね。
いつも自分の都合のよい妄想を垂れ流すゼロ戦オタクの精神崩壊は見物です(笑)」
「エッ?違が・・・・・ちがちがちがちがががが・・・・・・・・・・」
・・・・・
「日本は本家を超えたのよおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
「・・・・ショックの余りついに発狂して―――」
チガウ!零戦の実際の戦果に目を向けてみなしゃい!
零戦はあらゆる連合軍機を太平洋で
虐殺してまわった!!
零戦は無敵だったのよ!」
「確かに日本は欧米に大いに依存していたでしょうよッ!
しかし、太平洋では零戦は無敵の戦闘機として白人どもを
ボコボコにしてやったのよッ!
「日本はアメリカやイギリスをついには越えたのよ〜ッ!!
黄色人種だってやれることを証明したの!!
猿真似の域を超えた!日本はアジアの
英雄なのよ!!」
「後編では、実戦でのゼロ戦の弱小ぶり、初期に作られた神話の虚構と、特に米艦載機群との死闘を中心に解説しますね。」
「あ゛あ゛あ゛あ゛零戦は弱小ではないいい!!」






後編に続く




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参考書籍など

零戦の真実 講談社+α文庫
坂井 三郎 (著)
零戦の運命〈下〉―なぜ、日本は敗れたのか 講談社プラスアルファ文庫
坂井 三郎 (著)
英独航空戦―バトル・オブ・ブリテンの全貌 光人社NF文庫
飯山 幸伸 (著)

撃墜王アフリカの星

世界の傑作機 (No.109) 「メッサーシュミット Bf-109 2」

世界の傑作機 (No.102) 「スピットファイア」

零戦燃ゆ〈6〉 文春文庫
柳田 邦男 (著)